獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老輩の長閑な一日

 まるで四季が失われたかのような近年の気象状況だが、それでも季節は確実に進行しているようで少しだけ"秋めいて"きた。10月だというのに夏が延長された如き真夏日が続いて、つい昨日まで心身共に疲労感が残っていた。朝晩の気温が下がって、日中はその見返りのような晴天の青空が広がって気分がいい。

 小高い丘の上に建つ高層住宅の我が家は、すぐ目の前に天然の小さな森が広がる。朝な夕なに眺めているその森が、深い緑色から少し黄色味を帯びてきた。まだ注意しないと気づかない程度だが、自然のリズムが確実に刻まれているのを感じる。飛び交う鳥さんや蝶さん、虫さんなどの動きも心なしか少し気ぜわしくなってきたようである。

 太陽の位置が下になるにつれて射し込む日差しが長く深くなる。午後には各部屋の奥にまで届く。夜分の冷え込みで肌寒くなった部屋が、それで"小春日和"の暖かさに戻る。改めて人間の知恵に感謝する気分になるのである。我が家のベランダはLの等辺型なので、南と西に向いている。日暮れ前からクライマックスの「天然ショー」が始まる。

 大きく西に傾いた太陽が茜色に輝く時刻になると、西空に点在する雲が一斉に茜色に染まる。南側の空がピンクと茜色に彩られて、遠くに建ち並ぶビル群が夕陽を浴びて赤く光り出す。森の上の小高い山の端に隠れた夕陽が輝きを失い始めると、どこからともなく夕闇が足早に訪れる。

 手にしたコーヒーカップが冷めて中のコーヒーが少なくなっても、私はアルミの椅子に腰掛けてこの素晴らしい「天然ショー」に酔い痴れる。やがて辺りが暗くなると、今度は一斉に鈴虫さんたちの大合唱が始まるのである。家々の窓に灯りが点り始める頃合いになるまで少し冷たくなった風に吹かれながら、難聴の耳に届く鈴虫さんたちのコーラスに送られて私の一日が終わる。

 今日もまた何事もなく老輩の長閑な一日が終わるのである。生きているのは素晴らしいと胸を熱くし、時に涙を流しながら、いつも通りにつつがなく私の一日は終わるのである。

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