獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「曼珠沙華」

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 細長い日本列島は南から北へと、季節毎に四季折々の花々が移ろいながら咲く。先頃まで家々の庭や公園などで見かけた真っ赤な彼岸花が終わった。秋のお彼岸が終わっても、咲き遅れの数輪が夏の名残を惜しむかのように咲いているのが見られた。「彼岸花」というと季節外れの印象を受けるが、「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)と言えば見事な赤と不思議な形が何となく納得できる。

 いずれの名前も仏教と関わりが深いが抹香臭い話はさて置いて、その燃えるような赤で連想するのは引退して久しい歌手山口百恵である。日本武道館のラストステージでも歌われた阿木燿子・宇崎竜童夫妻の手になるこの名曲は、最近になって演歌歌手藤あや子がカバーして蘇った。しかし、歌そのものの存在感で山口百恵には遠く及ばない。

 恋する女性の激しい情念を歌ったこの曲は、敢えて「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)を(まんじゅしゃか)とストレートな音読みに替えて発表された。いずれが正しいとかの蘊蓄を別にして、人の心を動かす楽曲である。夏から咲き始める点で「百日紅」(さるすべり)と似ているが、草と木の違いで趣を異にする。いずれも見る人の心に忘れ難い鮮烈な印象を残す。

 この「曼珠沙華」は戦前にも大衆歌謡で歌われている。雨が降る港町長崎のオランダ坂が登場するこの古い歌をご存じの方はもう殆ど居ないだろう。遠い遠い昔日の感傷になった。山口百恵とて遠い記憶である。決して優れた歌唱力を持つとは言い難いアイドル歌手だったが、さだまさしの名曲「秋桜」(コスモス)に恵まれたことで、我が国の大衆歌謡に不滅の足跡を残した。

 「曼珠沙華」は燃え盛るような激しい赤である。一方の「秋桜」はご存じの如く薄紫に代表される質素な花だ。静と動とも言える対照的な名曲だが、若い一人の女性歌手の人生を変えた。そればかりか多くの女性達の心に濃い陰影を残した。花に託した人生と、花に託された人生。そのいずれもが華麗であり、また清楚である。

 季節を超えて咲く花があれば、季節を超えて歌われる歌もある。夏の名残を留める「曼珠沙華」は、その狂おしいほどの赤が様々な想いを呼び起こすので私は好きだ。"花の命は短い"が、名曲の歌は永遠に人の心から消えない。