獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

山田洋次と是枝裕和

 山田洋次是枝裕和といえば言わずと知れた日本映画界を代表する巨頭である。往年の洋画ファンも、近年は見るべき洋画がなく足元の日本映画を愛するようになった。派手なアクションには全く興味がないので、近年の洋画で眼につくケバケバしさには文字通り閉口である。日本映画も同様なものには一切目をくれない。

 山田洋次監督は老舗松竹の生え抜きで現在も専属である。これまで殆どの作品を見ているが、良くも悪くも大会社の専属監督の範疇である。"名作らしき作品"も数々あるが、駄作の範疇に入る作品も少なくない。常に興行成績を計算し尽くされた映画作りで、その意味で真に名作と呼べる作品は限られる。"名作らしき作品"が多いのはその辺りの事情によるものだろう。

 映画評論の如きには興味がないので、個々の作品を解剖して評価するのは遠慮するが、山田洋次監督の名を不動のものにした「男はつらいよ」シリーズの異例のロングランには一言ある。創作映画にケチをつける狭い了見は持ち合わせていないが、渥美清が演じた「フーテンの寅さん」の衣装である。お断りせねばならないが、現代社会に古いヤクザの"テキヤ・スタイル"をした渡世人など存在しない。

 現代のヤクザはブランド物のスーツを着てベンツを乗り回している。チンケな屋台商売は終戦直後までのことで、風俗描写が現実離れしている。戦前と戦後の風俗がノスタルジックに描かれている点は評価しないではないが、「三丁目の夕陽」との違いが際立って少し誇張が過ぎる。落語の世界でもリアリティーがないものは受けないが、この映画は「古き良き時代」への郷愁で大衆受けを狙って成功した特異なシリーズ作品だろう。

 山田洋次監督作品は純粋に芸術性を追求したものと、商業的興行成績を狙ったものとの落差が大きい。大手映画会社の専属監督の宿命でもあろうが、軸足が定かでない分作品の出来、不出来が目立つ印象だ。平均点の芸術ほどつまらないものはないと思っているので、自身を取り囲んでいる殻から抜け出せなければ、映画監督としての評価は上がらない。

 一方の是枝裕和監督だが、山田洋次監督とは対照的に善し悪しは別として「一匹狼」である。フリーで作品作りするには想像を絶する苦労が伴う。敢えてその立場に甘んじて、尚も意欲的作品作りに取り組む姿勢は評価に値する。それゆえ寡作で駄作がない。根っからの映画人でないところからスタートして、今日の足場と名声を築いた努力を称えたい。

 既製の枠の上で無難に作品作りをするのは誰にでも出来る。だけどそこから創造性は生まれない。むしろ既製の枠をどう溶解し、どう分解して新しい枠に作り上げていくかに芸術性が秘められている。あるものをあるが儘に見据えて、微細な変化をどう絡め取るか。目新しさやど派手なアクションを超えて、日常の中の美と感情の起伏を映像化するかだ。

 是枝裕和監督の登場で日本映画に新しい可能性が湧き出てきた。想像を絶する苦難を乗り越えて第二、第三の是枝裕和の登場に期待したい。微かな針音さえ聞き逃さない究極の感性の誕生を待ちたいと思う。海外の評価を待つまでもなく、日本人が日本人の心を揺さぶる作品が次々生まれるか否か、私は心躍らせてその日を待ちわびている。