獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「NATURALLY」渡辺貞夫

 長くご無沙汰し最近また聴き始めたジャズのアルバムタイトルである。NATURALISTが自然主義者を指す言葉であることから、多分同意義語であろうと思って広辞苑を調べた。意に反してNATURALLYでは検索不能で、英和辞典を調べたら「予想されていた」「思っていた通り」などの意であると説明があった。

 冒頭から面倒なことになったが、このCDの主は我が国ジャズ界の至宝渡辺貞夫である。御年80歳を超えて猶もかくしゃくと第一線で活躍する"化け物"の如きミュージシャンだ。私自身彼とは少なからぬ関わりがあったが、その話はひとまず置いてここでは専らミュージシャンとしての渡辺貞夫に触れたい。

 思い見れば随分長い関わりで、高校卒業後に上京して当時無名ながら熱心に演奏活動していたジャズメン達に混じって、アルト・サックスを吹いていた若かりし日の渡辺貞夫を知っている。チャーリー・パーカーの影響が色濃いバップ・ミュージシャンの一人だが、ジャズ・ピアノ界の草分けの一人秋吉敏子に見出されて彼女のクインテッドのメンバーとして頭角を現した。

 当時も今も余り変わりないが、ジャズの花形楽器はピアノとテナー・サックス、トランペットで、アルト一筋のミュージシャンは少数派だ。ここにも渡辺貞夫渡辺貞夫たる面目が躍如だ。当時の日本のジャズ界はテナー・サックスに松本英彦宮沢昭、ピアノに中村八大、八城一夫、ドラムにジョージ川口などが居た。少し後に来日公演したアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズのコンサートが産経ホールで開かれて、ジャズ・ブームに火が付いた。

 それまでは全く無名のマイナーだったジャズが一躍世に知られて、汗を迸らせてドラムを叩きまくるアート・ブレーキーが時の人になった。彼らを招聘したプロモーターの神彰が作家有吉佐和子と結婚して話題になった時代である。コンポ・ジャズが花開いたその一方で、原信夫とシャープス&フラッツ、宮間利之とニューハード、小野満とスイングビーバーズなどビッグバンドが洋楽の歌伴でテレビのブラウン管に登場した。

 戦前・戦中に中国・上海や満州で一部富裕層に流行したジャズは、敗戦を経て戦後再び我が国に芽吹いたのである。米軍キャンプを廻る仕事に恵まれたが、専らレコードを聴いてコピーする初歩的なジャズに飽き足らないミュージシャン達が出現し始めていた。当時の渡辺貞夫もその一人で、秋吉敏子の推薦を受けて渡米しバークレー音楽院へ入学した。単なる物真似から脱して本格的な理論を学び、夜はニューヨークの代表的なジャズクラブに飛び入り出演した。

 「イエロージャズメンの凄いのがいる」とアメリカ本土で知られるようになって、"栃木訛り"の英語は有名になった。全精力と全情熱を注いで吹きまくる彼のアルト・サックスは、本場アメリカのジャズ・シーンを驚嘆させた。頑固でひたむきな渡辺貞夫らしさは一段と磨きがかかって、帰国したその日から銀座の「銀巴里」に現れた彼は全精魂を込めた演奏活動を開始した。

 現在に連なる本格的我が国ジャズの夜明けは彼渡辺貞夫によって開かれた。その意味で渡辺貞夫は我が国のジャズの歴史を変えた。連日連夜彼の薫陶を受けた無名の新人達からトランペッター日野皓正が、ピアニストの佐藤允彦菊地雅章、大野雄二、ドラムの富樫雅彦などの逸材が巣立った。我が国でジャズを志した者で渡辺貞夫の影響を受けない者は居ないだろう。

 その御大渡辺貞夫は健在である。栃木県宇都宮市はユニークな人材を少なからず排出しているが、私が知る限りではそのいずれの諸御大方も「栃木訛り」を隠そうとしない。善くも悪くも「栃木訛り」丸出しである。演歌で知られた船村徹然りで、古くは昭和天皇の書道ご進講を務められた清水董三がいる。清水は若くして戦前上海にあった東亜同文書院の教授を務めた逸材で、後に中国公使となり清朝末期の文人達と幅広く交流したことで知られる。

 その清水が戦後昭和天皇の書道ご進講を拝命した折りに、「栃木訛りの日本語がお上に通じるだろうか」と真剣に悩んだ話は有名である。これらの栃木県出身者は何故か不思議な共通点があるようだ。「頑固でひたむきな」性格が際立っているようで、それゆえに流動する時代にあっても、脇目を振らずに一筋に信念を貫く気風があるようだ。渡辺貞夫の音楽性は激動の時代を経ても不変で、奇をてらわずジャズの王道を歩み続けている。

 不動の大樹の如くにジャズ界の中心に立ち続けて、円熟して角が取れた艶やかな音色はどこまでも澄んでいる。若き日の両肩を盛り上げる演奏スタイルは、今や穏やかな表情に変わって影を潜めた。澄み渡った青空を渡る風のように、悠然と流れ去る川の流れのように、どこまでも自然で誇張がない。浮き世の薄汚れを拭い去るが如きに爽快である。あくまでもあるがままに、ジャズを超えて、音楽を超えて、人間と自然を見据えている。

 敢えて「ナベサダ」と愛称で呼ぶのは遠慮しよう。どこにでも居る普通のおじさんだが、単なる"お爺さん"では決してない。前人未踏の「音世界」を築いて猶も、超然として笑顔を絶やさない渡辺貞夫とは何者か。彼との長い関わりの中で、私は今もその答えが見つかっていない。それがNATURALLYの真意かも知れないと思い始めたばかりである。