獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

新年事始め

 世の中がどうあろうと老々世帯の我が家は何事もなく平和に新年を迎えた。特に新しい年を迎えようとの希望や念願があってのことではないが、何もせずとも自動的に新しい年が始まった観が強い。高齢者の年明けは誠にのんびりしたもので、特別の感慨もないままに松がとれて正月飾りが消えた。七草粥も早くも過ぎた。

 新年は家族の絆が強調されて再確認される機会だが、息子が一人でその息子に子供が居ない我が家は他の家庭と異なって賑やかな孫や曽孫が居ない。その恩恵で齢80の老夫婦は未だに「お爺さん」「お婆さん」と呼ばれることがない。当人達はお互いにそう呼ばれることに違和感を感じて、「おじさん」「おばさん」のまま年を重ねている。

 物事の善し悪しは実に様々で、中には当事者には都合が良くても他人迷惑な類いのものも少なくない。多分そうであろうと予想しつつも、格別の抵抗感がないままに呑気に「おじさん」「おばさん」を続けている。誠に"天下太平"である。だが世の中を見廻せば "天下太平"と正反対の現象ばかりが眼につく。

 過ぎた年を派手に彩った新型コロナウイルスの感染拡大が、正月呆けする前からのんびり主義の我が国政府によって緊急事態宣言だか非常事態宣言と相成った。「おめでとう」と皮肉の一つを言わざるを得ない事態認識には、毎度のことながら批判する気力さえ失うが、今更ながらこの国の野放図な現状を再認識させられている。

 最前線の医療現場から「逼迫」や「危機」が叫ばれても、聞く耳を持たずに正反対の感染拡大施策を実施したのは紛れもなく現菅政権である。税金で補助するから大いに遊び、大いに飲食しようと奨励したのはどこのどなたか。その当事者が一片の責任感もなく、どの"面"下げて緊急事態宣言だの非常事態宣言を口に出来るのか。

 無分別のそしりを免れ得ない暴走政策を実行しておきながら、我関せずとばかりにもっともらしい言葉を並べる厚顔破廉恥ぶりは、さすがに前安倍政権肝煎りの「鉄仮面」を地でいっている。選挙の洗礼を受けることなく、"棚ぼた"で予想外の政権を手に入れた「策士」ぶりが際立つ菅義偉現総理である。

 国民の誰からも期待されずに突然登場した現菅政権には、信頼や信任という言葉が見当たらない。法制度を巧みに利用して合法化すれば、誰も望まない人物が突如最高権力者になっても国民には拒否する手段がない。"アホバカ国会"でも選挙で有権者に選ばれたのだから、最高権力者を選任する特権が付与される。

 今更のように理屈を言ってもしょうがないが、殊更考えずとも腹立たしい新年の幕開けである。年賀状に並ぶ祝賀文字が何やら空疎に思えるのは多分私だけではないだろう。晴れ晴れしい顔をして「おめでとう」などと言う気には到底なれない。新型コロナウイルスの感染拡大は一都三県に留まることなく続くだろう。「後手後手主義」の現政府が有効策を打ち出せるとは矢張り思えない。

 今年もまた「厚顔破廉恥な無責任」が大手を振って闊歩する、そんな時代を予感させる年明けである。それでもなお、世界屈指の借金大国でも、国民は平和と豊かさを享受している。そしてまた我が家もその恩恵に浴して穏やかで平和である。目出度いという意味は多分そのことを指すのだろうと、良く判らないが納得することにした。