獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

人の心と時代の移ろい

 移ろい変わりゆくのは季節だけではない。人の心も変幻自在に移ろう。季節ごとに咲く花が入れ替わるように、人や世の中も想像を超えて移り変わるようである。現代社会は自然と人工のせめぎ合いの様相が濃厚で、今まで「普通」と思われていたことが、気がつくと普通ではなくなっていることが多々ある。

 自然は人間社会が変化を与えない限り天然の儘だが、限りない宇宙の営みを変えるほどに人間は思い上がっている。自分たちの叡智と都合で全てのものを支配できると確信して憚らない。科学技術の進歩で他の動植物の営みさえ変えられると信じている。「驕り」という言葉を忘れたかのように、傍若無人に振る舞って自らを省みない。

 いつから人間は「裸の王様」になったのだろうか。"張り子の虎"よろしく、己の存在や実態に気づこうとせず、ありとあらゆる横暴の限りを尽くして恥じることがない。「恥」を知ることで、人間は霊長類の頂点に君臨してきた。欲望を抑制できる知性を備え、時として「自己犠牲」をも厭わぬ崇高さを身につけた。

 人の心には天使と悪魔が同居すると幼い日に教わった。そのどちらが本当の自分であるかは、自分自身の努力で自らが決めることだとも教わった。人間として、日本人として、世界を展望しながらどう生きるかを考えなさいと諭された。それほど遠くない過ぎた日の記憶として、今なお鮮烈に心に焼き付いている。

 今自分が生きている環境に目を向ければ、長く信じてきた人間社会の有り様と違う人間社会が拡がっている。誰がどうだとは言わないが、何かが違い、何かが狂っては居まいか。額に汗して懸命に働き、"豊かで便利な時代"を手に入れた。輝く未来であるべきだったものが、己の利益を得るために他人を踏み潰し、地球環境を破壊する現実社会が実現した。

 誰の精でもないのに、間接的にみんなが関わって現代社会を築き上げた。真綿で自らの首を絞めるような、そんな途轍もない奈落境を作りつつある。なのにそのことに気づこうとせず、縦しんば気づいても議論のための議論に終始して前へ進もうとしない。誰も責任を感じず、誰も率先して事態を打開しようとはしない。

 「何とかなる」「誰かがやってくれる」と漠然と妄想するだけで、無情に吹く風に顔を背け続けている。奔流となって押し寄せている現実社会に翻弄され、目の前の「今日」に目を奪われて、すぐ身近に迫っている「明日」が見えない。難しい理屈はさておいて、極めて簡単な「人間の良識」を忘れ去っては居ないだろうか。

 人間は所詮一動物に過ぎない。地球上には無数の大小様々な命が息づいている。小さな虫や花にも命がある。己だけが万物の霊長だと過信する前に、身辺や足元を見つめ直す必要がありはしないか。自分に何が出来るのか。自分は何をすべきなのか。決して特別ではないごく普通の感覚で、幼い日の「良心」と「正義心」とに思いを巡らせよう。

 人の心は移ろいやすい。同じ地平に留まることさえ容易ではない。訪れる明日にはどう移ろうか分からないほど「不確実性」に満ちている。明日は分からなくても、目の前にある「今日」は信じられるだろう。その「今日」に少しだけ、自分に何が出来るのか、自分は何をすべきなのか、を考えれば、巨大な時代が動くのである。

 何もせず無為に「群れて流されて」も、貴方が希望する「明日」は決して訪れない。今この時代とこの時に、確実にある「真実」はそれだけである。