獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

新緑の感慨

 世を挙げてコロナ・ウイルス騒動で大わらわだが、気がついてみると身の回りや遠近の山々の新緑が萌え立つようである。人間社会の騒ぎなど凡そ無関心だとでも言いたげに、濃淡様々な新緑が輝くばかりに目に入る。我が家の目の前の森は、種々雑多な樹種が入り交じった手つかずの天然なので、一本一本の木々がそれぞれを主張するように微妙に異なる色合いで新緑を競い合っている。

 若々しさを感じさせる新緑は希望そのものの色合いだ。黙して眺め続けても飽くことがない。人に人生があるが如くに、一本一本の木々にもそれぞれの生涯があろう。人知れず新芽が芽吹いて若木になり、風雨に耐えて成長してきた経緯があろう。強い春風に吹かれて枝が激しく揺さぶられても、全身を折り曲げるが如くにしなって決して折れることはない。真夏を思わせる強い陽光を浴びても、逃げることなくその場に立ち続けている。

 これらの木々は例え病気になっても治療してくれる病院はない。ひたすらその場所から動かず、弱音や苦情も言わずに耐え続ける。そして鮮やかな新緑で己の生命を謳い上げる。物言わぬ新緑の木々に比べて、私たち人間はいったい何をやっているのだろう。何をやって来たのだろうか。不可能はないと己を過信し、自らの叡智で自然に挑み続けてきた。その営みを顧みることなく、科学知識は万能だと今も信じ続けている。

 コロナ・ウイルスは自然の産物ではない。重要なのはそのことで、人間が自らの営みの中で生み出した副産物だ。言うなれば真綿で首を絞めるように、自分で自分の首を絞めては居ないか。誰の精でもなく、無論自然の成せる所行などではない。自分たちが己を過信して、やりたい放題に自然の諸々の現象を破壊し、己の都合よく作り換えてきた。今新緑が盛りの木々たちは、決してそんな無謀を犯さない。

 この世に生を受けた生きとし生けるものは等しく、目には見えない自然の摂理に従い命をつないでいる。己を過信して驕り高ぶるのは人間だけだろう。その驕りが目に見えない小さなコロナ・ウイルスに蹂躙されてグーの音も出ない。がむしゃらに慌てふためき、尊厳さえも見失おうとしている。小さな目の前の森は慌てず騒がず、それぞれの木々が協調して無理のない新緑のハーモニーを奏でている。

 時代が進化して人間世界はどこへ向かうのだろうか。自らの所行にいつ気づくのだろうか。燃え立つ新緑が春風に吹かれて揺れている。人間世界は誠に罪深く、誠に難しい。今日もまた誰かが犠牲になって命を落とし続けるのである。目の前の新緑に似つかわしくない現実が続くのである。