獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(5)

 現代社会は誠に奇妙適烈である。暇な老人がブログを書いて、そのブログを読む奇特な方々が居る。妙な循環で世の中が廻っている。そう思いつつも日々去来する様々な感慨を綴っている。更に妙なのは何ら制約はないのに、何故か毎日何某かの文章を書くことがまるで義務でもあるように思えてくることである。

 本来は物事にルーズで怠惰な人間なので、それをセーブするのに自分で自分に宿題を課すみたいなことをして来た。事柄にも依るが大小様々ある中で、どれだけ他人に対して裸になれるかにこだわった。男の、それも老人の裸は不快な迷惑行為になるが、若い女性の裸は一部例外を除いてそれなりに美しい。

 余談になるが、男と女は基本的造形が違うので一概には言えないが、本来美的である女性の方が衣服を脱ぐのを躊躇する。多くの場合恥じらいによる躊躇だが、決して嫌がってのことではないようだ。その証拠に臆面もなく褒め続ければ、大抵の若い女性は恥じらいながらも自ら衣服を脱ぐ。

 プロカメラマンの世界で「婦人科」と呼ばれる領域がある。主として女性美を追究するタイプのカメラマンを指すが、ヌードを専門にする著名カメラマンも少なくない。この方々のスタジオ撮影に立ち会われた幸運な人はご存じと思うが、普通の表現に置き換えて言えば「徹頭徹尾褒めあげる」のである。俗に言う"歯が浮く"ような言葉を連ねて、強烈なライトを浴びていることもあって、非日常的な興奮状態に導く。

 肌が上気して赤みを帯びるくらいに褒めあげて、ある種の興奮状態に陥った女性は持てる女性美を最大限発揮する。先刻まで普通の女性だった彼女が、別人のように光り輝き始めて時に妖しささえ身に纏う。多分親兄弟や恋人、結婚相手にも見せたことがない色艶を魅せるのである。そこまでの人間的信頼関係を、短時間でどう築くかがそのカメラマンの技量になる。誰にでも出来る安易なことでは決してない。

 話が脇道へ逸れたが、事ほど左様に他人に裸を曝すのは簡単なようで難しい。まず第一の関門は他人の存在を意識する前に、自分で自分に対してどれだけ素直で正直になれるか否かである。自分に嘘があっては本当に裸にはなっていない。何かしらの装いで自分を覆い隠そうとするのが人間の習性で、そういう自分と格闘した上での葛藤が必要だ。

 自分に対して、他人に対して、何らの隠し事も持たなくなった人間はそれだけで不思議なオーラを発するものだ。特別の仕掛けをせずとも他人を魅了し惹きつける。一切の嘘や誤魔化しがなくなれば、それだけで説得力が生まれ、他人を惹きつけて止まない限りない魅力が備わる。日々文章を書いていて、そんな文章を書けたら本物だと確信している。

 道は無限に遠い彼方に続く。例え僅かであっても、その境地に近づけたらと願いつつ日々拙い文章を書いている。自分に対する宿題は終わったようでもあり、まだまだ道半ばとの想いも強くある。日々精進あるのみと自分に言い聞かせて、今日もまたパソコンに向かう老境である。