獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

雨雑感

 相変わらず雨が降り続く。空が少し明るみを帯びて、降り止んだかと思うとまた降り出す。7月になって晴れた日の記憶がない。来る日も来る日も外連味タップリに雨また雨である。最近は未曾有の記録破りが大流行で、コロナウイルスの感染者数が世界中の記録を塗り替えているし、豪雨による自然災害も桁違いの規模と回数で人間社会に襲いかかってくる。

 襲われる側の人間社会は殆ど無為無策で、世界に増殖した"低脳指導者"は有効対策を打ち出せない。言ったら悪いが、どうしてこんな奴がと思われる人物が何故か指導者に名乗り出る"21世紀病"が蔓延して、その"低脳人類"が不思議なことに民主的な選挙で当選して凡そ不似合いな地位に就く、そんな奇妙な人災も枚挙の暇がないほど増えている。

 何がどうなっているのかさっぱり分からない人間社会だが、それでもそこに生きる人々は誰も疑問を抱かない。ごく普通の表情を装って通り過ぎていく。何があっても加害者と被害者の区別が明瞭でなく、いつその立場が逆転して自分がその主人公になるかが分からないのに、何でもない顔をして毎日を暮らしている。目に付くのは「不感症」と「無責任」で、社会全体がその"悪習"にすっぽり覆われている風情だ。

 人間社会の厄禍と自然現象はクロスしないが、降り続く記録的長雨は何かしら人間社会そのものであるように思えてくる。誰も止める手立てを持たず、放任された巨大パワーがやりたい放題に暴れ回っているように見えてくる。眼は見えず、耳も聞こえない「不感症社会」をあざ笑うように、慢心しきった人間の無力さを見せつけている。

 雨が降り続く日は遠くの景色が見えない。高層住宅から見渡しても北原白秋が詠った「城ヶ島の雨」のように鼠色に煙るだけである。"五里霧中"という言葉があるが、五里はおろか一里先さえ分からない。言葉の妙は色々で、「降り止まぬ雨はない」とも言う。天然現象の長雨はいつか止むだろうが、人間社会を覆う「不感症」と「無責任」の"悪習"はいつ止むのか晴れるのか見通せない。

 降り続く雨も、無気力と怠慢が巣くう現代社会も、決して誰かの責任ではない。それだけに放置する以外の方策がない。誠に厄介だが身をすくめて遣り過ごす今日である。明日もまた雨であろうか。