獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

真実という名の嘘

 世に情報と呼ばれているものは多数あるが、その中のどれが真実を伝えているかどうかとなると、果たして何人の人が明確に答えられるだろうか。全ての情報は他人が見たり聞いたりしたもので、その人の主観が少なからず混入しているし、所属するメディアによって更に加工されて私たちへ伝わる。

 情報は本来私たちが自分の目や耳で見聞きしたものであるべきで、生で触れた情報こそが本物だ。原始の時代にはごく当たり前であった筈の原則が、時代が進化して便利になるにつれて様変わりした。現在私たちを取り巻いている情報は、殆どが他人目線のものである。巨大化したメディアの実態をよく知らないまま、伝えられる通り鵜呑みにしている。

 政治や経済などの仕組みがそうであるように、物事には必ずと言っていいほど明瞭な"裏表"がある。そのどの面をどう見るかは自由で、人それぞれの立場や職業などによる偏りが生じる。各メディアは競って「中立・公平」を主張するが、そのメディア自体だって拠って起つ背景や立場で実に種々様々である。

 一例を挙げるなら公共放送NHKだろう。国民のための公共放送であると主張するが、実際は時の政権・政府の思惑に沿って運営されているのは衆知の事実である。報道されているニュースを見れば良く分かるが、伝えられる情報の95%が公式見解と言われる官公署発表の内容である。言うなれば政府見解そのものだ。

 官公署が発表する政府見解が正しいかどうかは、安倍政権の「森・加計問題」で露呈した財務省理財局長答弁で明らかだが、古くは戦時中の大本営発表やブラジルや満州への移住勧誘など数限りない「嘘」がある。それをそのまま伝えるメディアは、公共や民間に関わりなく「真実」に軸足を置いていると断言できるだろうか。

 事ある毎に「報道の自由と使命」を口にするマスコミだが、資本主義社会の市場原理と無縁ではない。事業主体が立ちゆかねば「報道の使命」などどこかへ吹っ飛ぶ。突き詰めれば所詮利益を優先せざるを得ない。その点で言えば公共放送NHKには二重の偽面性がある。直接国民から視聴料を強制徴収して、経営実態は政府の意向を決して外れない。

 これらのメディアが伝える情報にどの程度の真実性があるか、それは各人が判断せねばならない。正確を期すには自分で現場へ出向いて、自分の目と耳で情報に接する以外手がない。グローバル化した現代にそれが出来る人は皆無だろう。私たちは否応なく数多くの情報に囲まれて生活している。けれどそこで得た情報の何%が信頼に値するだろうか。

 情報もメディアという産業の手を経て私たちに届く。その中には無数の「嘘」が潜んでいることに思いを致さねばならない。実際には「無色透明」な情報など存在しないと思う方が、より真実味に近づく方策なのかも知れないと思う昨今である。