獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

カラスの勝手

 いつ頃だったか記憶が定かではないが、「カラスの勝手でしょう」という言葉が盛んに飛び交った時期があった。有名な童謡の一節を皮肉にもじったもので、流行語になって広く分布した。今更その古い言葉が脳裏を去来するほど、我が家の目の前の森に大量のカラスが襲来した。古い話ついでに言えばヒッチコック監督作品の「鳥」という映画もあった。

 童謡の「カラスの子」は愛らしいが、実際のカラスは小憎たらしく迷惑な存在だ。石原慎太郎都知事時代は、都内の公園を我が物顔に占拠するカラスを捕獲する大作戦を挙行した。事前の予想通り賛否両論が巻き起こり、毎度お馴染みの動物愛護団体とやらが登場して「捕獲反対」を声高に訴えた。その声に賛意を示した都民が居たかどうかは覚えていない。

 我が家の目の前に突然襲来した大量のカラス軍団は、何が目的で突然現れたのか分からない。普段は白や黄色の小さな蝶たちとヒバリや鶯などの小鳥たちが住み着いて、夏は蝉軍団が活躍し、秋には鈴虫軍団が大合唱を繰り広げる親しみ深い森である。晴れた日も、曇りの日も、雨の日も、朝な夕なにガラス戸越しに眺めている天然の森だ。

 晴れた日の夕暮れは空一面が夕焼けに覆われ刻一刻と色合いを変えるのに相応して、森の木々もその色を濃くしてゆく。小鳥たちの鳴き声以外は物音一つしない静かな森が、大きな黒い物体の大量飛散で様変わりである。心なしか辺り一面が薄暗くなったような気配さえ感じる異様な光景になった。大きな鳴き声を発して飛び回るカラスの集団は、誰にも歓迎されずとも憎々しいほど堂々としている。

 何が目的かは知らぬが若しかしたら、近くの森から集団移住してきたかと心配した。無論カラスが心配なのではなく、平和で静かな住環境を脅かされることを気遣った。動物愛護団体の皆さんには申し訳ないが、元々生理的にカラスが嫌いである。出来れば地球上から消えて欲しいと願う動物の一つだ。それが目の前の森に大量に住み着いたらと想像するだけで鳥肌が立つ。

 別段目の前の天然の森に居住権が付与されているわけではないと思うが、市民税も、都民税も支払わずに突然住み着くのは大迷惑だ。それに反対するプラカードやポスターを掲げてもカラスには通用しないだろうし、役所へ訴えても役所も手を焼くだろう。どうしたものかと貧相な頭を悩ましたが、一夜明けたら綺麗に姿が消えた。思わず胸を撫で下ろした次第である。

 迷惑もののカラスにだって地球上に住む権利はあろう。野鼠などの厄害から守ってくれるというメリットがあるのも承知している。カラスにだって自由はあるだろうし、人間が自分たちの勝手でそれを云々するのが正当であるかの議論もあろう。どこへ住み着こうが、何をしようが、文字通り「カラスの勝手」であろう。七つの子が居ようが、八つの子が居ようが、カラスにしてみれば「勝手」なのである。

 けれどもである。黒い大きなカラスが目の前を我が物顔で飛び回る光景を想像して頂きたい。それも5羽や10羽ではない数百という数である。それを歓迎する人が居たら、恐らく私はその人とは口を利かないと思うし、同じ空気を吸うのも遠慮するだろう。とんだカラス騒動と、その顛末である。