獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

秋の夜長

 暑い暑いと嘆いていたのが嘘のように急に涼しくなった。人間とは何と"天の邪鬼"に出来ているのだろうと感心しながら、慌てて衣装ケースに仕舞い込んでいた長袖シャツを取り出して着始めた。近年は時期に関係なく台風がやってくるので厄介だが、それがなければ"暑くなく寒くない"快適な気候なのだが、今年は果たしてどうなるやらである。

 お彼岸4連休で街にも行楽地にも突然人並みが増えた。政府と業界が目論だ「Go Toキャンペーン」がどうやら成功したらしい。兎にも角にも国民がこぞって外出して飲食し、観光地や行楽地へ繰り出して貰わねばこの国の経済が持たないらしい。姿なきコロナウイルスの責任追及をするわけにもゆかず弱り目に祟り目だったが、何とか一息ついた趣だ。

 日が落ちるのが早くなり、夜行性なき人間様でも闇夜に蠢く人種が勢いを増す季節になった。閉店された空き店舗が目立つ地方都市の夜は暗いが、対照的に大都市の夜は妖しく派手に息づく。欲望を全開にした人間が集う都市部の盛り場は、異様に目が輝く男女で混雑する。世の中で何が起きようとアルコールと男と女の魅力は失せないらしい。

 和洋を問わず酒を嗜まない人間には、夜長の季節が疎ましい。酒席と縁がないので家で過ごす時間が多くなるが、さりとて読書に精出すほどの知性は生憎く持ち合わせていない。若かりし昔日には重要な日課であった読書だが、世の中のIT化が進むにつれていつしか疎遠になった。図書館司書の資格を擁して、膨大な専門書に囲まれて過ごした大学図書館時代が今や信じ難い。

 往時に立ち返って想像したとしても、現在の疎遠な読書習慣を思い浮かべることは難しいだろう。それほどに紙と活字との付き合いが滅法減った。その原因は幾つかあるが、この際だから言わして貰うなら一つには物語の魅力が失せたことだ。文学賞を代表する芥川賞直木賞の価値が暴落して、業界の利益に奉仕する定例イベントに成り下がった。

 人間社会で人間が生きて、そのあきれつの合間で生まれる理想や夢が希薄になった。文学に限らず音楽にも共通するが、その他の主要芸術にも顕著に見られる「市場原理」の影が、言葉や文字で伝える文学はより一層強まったと感じている。目新しさを追う余り新鮮さが誤解されて、表現も訳が分からぬ奇妙的列の類いが珍重されている。

 時代がどう変わろうと人間性はそれほど大きく変わっていないのに、単に利益に奉仕するのみの題材や手法がクローズアップされて、商業主義の悪弊が随所で幅を利かせている観がある。文学とは何か、音楽とは何か、その根底が忘れられて、表面を目新しくなぞるだけの形骸が増えた。折角の「秋の夜長」なのに、その夜長を深めてくれる材料が乏しい。

 "当たり前"とされる「常識」を脱ぎ捨てて、知性や理性もついでにどこかの棚へ上げて、「Go Toキャンペーン」よろしくその他大勢に紛れて遊び呆けるか。夜の盛り場へ繰り出して、飲めない酒を嗜んで"どんちゃん騒ぎ"に参加するか。それとも酸素ボンベのキャリーを引いて、久しくご無沙汰している神保町の古本屋街を訪ねてみるか。そうでもしないと「秋の夜長」はやたらに冗長になる。