獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

何気なく降る雨

 大雨による河川の氾濫が続出した。台風が足早に去って昨日は抜けるような台風一過の青空が広がった。何らの被害にも遭わなかった人は呑気に良い天気になったなどと挨拶を交わしているが、洪水に見舞われた地域の皆さんは突然の自然災害に茫然自失であろうと思う。相も変わらぬ日本列島の現実である。

 昨日の晴天とは打って変わった朝からの雨である。無情の雨にロマンチックな風情は欠片もない。冷たく降る雨は水が引かない水害地にも降り注ぐ。何でもない時に何気なく降る雨は、人それぞれの暮らしにそれなりの風情をもたらす。一つの句が詠まれ、一片の詩が謳われる。けれど災害の非常時に在るのは飾りのない嘆きだけだ。

 昨日までそこに在った喜びや悲しみが数時間で失われた。何気ない暮らしが紛れもなくそこにあった。ちゃんとした形があり、それぞれの色があった。そこに生きる人々の温もりを湛えて、善し悪しを超えてそこにあったのだ。それが当たり前だと誰もが思っていた。その何気ない暮らしが無残に奪われる。涙も出ない憤りだけがそこに残る。

 何や可やと理屈を捏ね回しても所詮人間は弱い生き物だ。その弱さがどれ程かを人間は忘れている。形があるもの、形を確認できないものを含めて,実際とは異なる「過信」に酔い、実際以上の「奢り」に包まれて日々を生きている。時には自分が誰で、何者なのかさえ忘れて、バラ色の暮らしを夢見て生活している。

 そんな人間の「思い上がり」を、自然は容赦なく叩き潰す。昨日まで信じていた暮らしと全く違う姿・形を突きつける。打って変わった現実を目の当たりにして、言葉を失った人間は改めて己の存在の小ささに気づかされるのだ。当たり前だと思って繰り返してきた日々の暮らしが、地球規模の自然破壊であるのに気づかされる。

 豊かで便利であることの代償が、決して小さなことではないのを思うだろう。運が良いとか悪いとかではない、誰もが地球上の当事者なのだ。どこかで誰かが不合理を犯していれば、その報いは私たち全地球人に及ぶ。自然災害は決して突発事故ではないことに思いを致さねばならないだろう。

 無情に降る雨が何気なく降っていると見るか、何かを告げようと降っていると見るかで、人の想いは少なからず異なる。苦難は突然襲ってくるが、それには遠因や近因の違いはあっても、人間自らが生み出した要因があることを考えてみよう。何気なく降る雨も、降るべくして降っているのである。