獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

雨が降る

 窓の外は雨である。丘の上の高層住宅から見える遠くの景色はグレーに霞んでいる。小さな戸建て住宅も、15階前後のビル群も、その間を縫ってゆっくり走るモノレールも、そして点在する幾つもの森も、一様に等しく雨に煙っている。水無月(みなづき)六月は梅雨の季節だが、言葉とは裏腹に水と縁が深い。

 東アジアに位置する細長い日本列島の気象は、多分に西側にある中国大陸の影響を受ける。その恩恵の一つが春夏秋冬の四季だろう。四季と言えばミュージカルで有名な劇団を思い浮かべる人が多いだろうが、春夏秋冬の四季が明瞭であることが我が日本列島の誇るべき特徴だった。自然現象だから誰彼の功績ではないが、日本人らしさを形成する重要な一因でもある。

 その恵まれた自然現象がなぜか最近は大いに気まぐれだ。現在も九州地方に大雨禍をもたらしている。しっとり降る雨の風情はどこかへ消えて、まるで牙を剥いた猛獣の如くである。こうなると文学や芸術の出番ではなく、大凡SFの世界に変わり果てる。恐怖に脅えるほど人間は無力ではないが、可と言って天然現象を克服できるわけではない。

 雨は一口に言えば鬱陶しいと表現されるが、それでも不思議に色々様々な映画やドラマに描かれて、情緒と風情を醸し出している。歌の世界にも数多く登場する。鬱陶しいと言われながらも水と人間は切っても切れない関係にある。人間の暮らしは水場を求めて流浪の果てに築かれたものだ。その貴重な水を私たちはどの程度認識し、どの程度大切にしているであろうか。

 自然の恩恵を享受していながら、その自然は自分たちの都合が良いように服従させ得ると勘違いしている。2011年の東日本大震災で発生した原発事故が生み出した放射能汚染水を未だに解決できない。にも関わらず停止した原発は次々再稼働している。一寸先は未解決の闇の世界なのに、それでも己を過信して営みを留まることをしない。

 雨は無情に降り続ける。良きものも悪しきものも等しく包み込んで天から降り注ぐ。降る雨に好んで濡れる人は稀だろう。大抵は色とりどりの傘に助けられて人は移動する。けれども雨が止んだ途端、重宝した傘は一転して"邪魔者"になる。人間とはなんと傲慢な生き物だろうかと思い当たる。だけどそれも一瞬で、人はすぐに忘れ去る。

 窓の外の雨は尚も止まずに降り続いている。明日は晴れるだろうか。過信に満ちた傲慢な人間に出来ることと言えば、精々その程度の願いを天に託す程度である。