獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

雨の功罪

 秋の長雨シーズン開幕である。春雨と違って秋の雨が好きだという人には、余りお目に掛からない。若い女性はその場の気まぐれで「雨が好きだ」と口走ったりするが、大人世代になると何故か雨が好きな人は激減する。その精か雨に関する記憶に残るのは、若い女性が多い特徴がある。

 私は赤や青、黄色などの原色傘が好きだが、それらの傘を差して下向きに歩く若い女性を見かけるとつい声を掛けたくなる。特別の理由はないのだが、若かりし日にはかなり実践した。突然声を掛けられて上向きになった眼と表情が、何とも言えず女性らしいと感じる。俗に言う「色っぽい」のである。

 晴れた日に明るい日差しを受けている時の健康的な女性達も嫌いではないが、雨の日にうっすらと傘の色に染まって見える若い女性は格別美しい。洋服やスカートから露出する腕や脚が傘の色を映していたりすると、美人と言えない容貌でも美人に見えるのである。無差別に声を掛けるわけではないが、その時の風情で何となく親しくなれそうな相手が勘で分かる。

 特に意識してはいないが傘を持つのは煩わしいので、余程の雨でない限りは自分の傘を持たない。なので必然的に駅や街角で傘を持つ人に声を掛けざるを得ないのだ。物色して選ぶわけではないのだが、不思議に若い女性に眼が向く。原色の傘は目立つので、引きつけられるように呼びかけてしまうのだ。

 理由は定かでないが、声を掛けた若い女性に拒まれたことは殆どない。怪訝そうな表情を浮かべながらも、大抵の若い女性は「どうぞ」と相合い傘になってくれる。それも自分が濡れるのを知りつつ、私の方へ大きく傘を傾けてくれるのである。私が180㎝の長身であることが最大の理由だが、お礼にお茶や食事に誘っても拒否した女性は皆無だった。

 「遣らずの雨」や「降り止まぬ雨」との言葉があるが、厄介者の雨も若い男女には特別の理由がつくようだ。傘の色で薄く染まっていた女性の肌が、明るい場所で確認されると思わず触れたくなるのである。体を寄せて反応を確かめると何故か不思議に拒む様子がないので、軽く肩を抱いて少し強引に引き寄せて見る。

 大抵の相手は驚いた顔をするが、目をそらさず見つめてくる女性は急速に親しくなれる相手だ。若い情熱はすぐさま瞬間的に燃え上がるので、相手の無言の期待にどう答えるかを瞬時に判断せねばならない。偶然を装って相手女性の胸に触れれば、その後の展開は反応と鼓動が自ずと教えてくれる。見知らぬ男女がお互いに濡れるのは、何も雨ばかりではないのである。

 若い男女の出会いは色々だが、雨が取り持つ縁は何故か不思議にしっとりと続く。長雨同様に煩わしさや多少の障害があっても、自然消滅することなく長く続く傾向があった。相手女性に交際している男性が居ても、不思議だが「二股交際」になって続くのである。何人かの女性に確かめたら、「雨の日に偶然傘がなくて出会った」と交際相手に言い訳が出来るのだそうである。"偶然"だと嘯くことが楽しいらしい。

 そんな女性特有の心理も、若しかしたら雨がもたらすのかも知れないと、ふと思ったことが何度かある。お分かりの方が多いと思うが、「濡れる」のは女性の特技のひとつだ。体の内外が「濡れる」ことを、必ずしも嫌がってはいないようだ。余り深く詮索しないことが男女関係には必要のようである。

 濡れて冷たい時もあれば、熱く濡れる時もある。雨を敬遠していたら、折角のそんな素敵な出会いと幸運を失うことになる。それこそが"もったいない"と思うのは、私だけであろうか。男冥利も、女冥利も、雨が適度に流してくれる季節の妙味かも知れない。男女の出会いは無限である。