獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

春の魔術

 今年の春は近年の傾向に沿った天候不順な春のようだ。桜が咲く前までは3月とは思えない暖かな日が続いたが、例年になく早く開花した桜が妖しげな寒さを呼び込んだのか、咲いた桜が震えるような寒さと強風の到来になった。その桜が終わっても得体が知れない寒さだけが残って、「春とは名のみ」の肌寒い春になった。

 相変わらず気象庁が発表する天気予報は、生前の昭和天皇園遊会で指摘された通り「当たらない」。膨大な予算を投じて、現代の最先端技術を以てしても、空模様を予測するのは困難であるらしい。気象庁の長期予報が的中した記憶は殆どなく、多くの人が「当たるも八卦当たらぬも八卦」と醒めて受け止めている。

 テレビで天気予報を伝える「気象予報士」なる職業がある。誕生して久しくなったが、古くからある職業ではない。NHKや民放各社まで男女様々な人物が入れ替わり、立ち替わりテレビ画面に登場するが、そのどれもが多分に"嘘くさい"。この国の政治同様に結果がどうであれ謝罪することも、責任を取ることも一切ない。

 一様に気象予報士が言う天気予報は「眉唾もの」と受け止めざるを得ない。この程度の技術水準が何ゆえ国家資格なのかと、疑うなという方が無理だ。当たり外れが常の天気予報とは別に、春という季節には色々な解釈がある。文字で青い春と書く「青春」が代表例で、生きとし生けるもの全てが光り輝く季節を指す。

 繊細で壊れやすいがゆえに儚く、儚くて脆いがゆえに鮮烈な印象を残す。無限に続く長い時間の中で一瞬の短い輝きを放つ。無情に過ぎ去る時間の中で、人はそれぞれに様々な形で向き合うのである。傷ついて心身に負い目を得たとしても、その傷跡が深いほどその後の人生も深まる。散り急ぐが如き桜に例えられるのもそれゆえだろう。

 淡く儚いイメージが強い春であるが、人間の心象風景とは大きく異なって自然が荒々しく猛り狂うことも屡々だ。「春の嵐」とはそのことだろう。人智を超えるがゆえに直面しても人間は無力だ。何も出来ずに、唯々通り過ぎるのを待つだけである。それに引き替え人間生活は煩悶とする。青春という名の勲章を得ても、得なくてもだ。

 青春期の輝きと対を成すのが老醜だろう。輝きばかりか諸々の人間性を失い、生きた骸と化すのを指して言う。言葉上の綾はともかくとして、実際の人間世界にはその手の老人と高齢者が数知れず居る。青春期とは似ても似つかぬ有り様に変わっても、その変わった自分が見えず気づかないのが特徴だ。

 春風は概して心地良いが、時には牙を剝くように攻撃的にもなる静と動の両面を併せ持つ。人生の青春期同様に、実際には平穏な日々は少なく、嵐にも似た荒れ狂う日々が多い。それでも人は儚く短い一瞬の光芒に希望を託す。寒い冬や暑い夏は嫌いだという人も、春を嫌う人は少ないようだ。日ごとに強さを増す日差しのように、前へ進んで後退することがないからであろう。ゆえに「希望」という言葉が似合うのである。

 柔らかな日差しの日もあれば、真夏を思わせる陽光の日もある。その変化が大きいのも春の特徴で、変わり目の早さと多さで「浮気女」や「浮気男」にも例えられる多情多感な一面も持つ。咲き誇る花々と競演するが如くに、真昼や深夜の街角を妖しく闊歩するそれらの男女の姿が、今年はコロナ・ウイルスの外出自粛で見られない春だ。