獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

終戦記念日

 世の中にはどう思っても理解に苦しむことが少なくない。普通に考えればあり得ないことに多くの人たちが真剣に向き合っているから不思議である。事柄は大小様々だが、大を言えば連日テレビで報道されている香港の民主化運動もその一つだろう。誰がどう考えたって母国中国は周知の如く、「唯我独尊」を掲げる一党独裁共産主義国家である。

 その母国中国を容認しておいて、末端部分の香港や台湾で民主主義の旗を掲げたって一体何をどう変えようというのか。それを言うのならものの順番として、母国の国家体制を変える努力が不可欠である筈だ。それをやらずして"遠吠え"を繰り返しても、チベット自治区民主化運動が示す結果が待っているだけだ。所詮無駄な努力だ。

 極論すれば最初から結果が分かっている"負けゲーム"を演じているだけのように見える。台湾は曲がりなりにも民主的選挙で総統が選ばれているが、香港に到っては衆目一致の母国の共産主義政権寄りの為政者の下である。長く異国の支配下にあって地域的民主主義が根付いたとは言え、母国中国とは地続きの大陸の一端に位置している。

 環太平洋国家の一員とは言え、何らの施政権を持たないアメリカが横槍を入れたり口出しするのも明らかな"内政干渉"である。例え事実関係や内状がどうあろうと、他人がお節介するすることではない。そのアメリカだって新型コロナウイルスの感染を征服できて居らず、国内の人種差別も克服できていない。銃規制も足踏みである。他国のことを言える立場ではない。

 4年に一度の米大統領選挙のために国際社会にまでちょっかいを出す、そんな大国の横暴が公然と行われている。それで「唯我独尊」の中国共産党を批判できるのか。我が国の政治シーンにも色濃く見られる「自国第一主義」は、今や公然たる国際社会のルールになろうとしている。否、最早世界の主流になっている。

 善し悪しは別として、自国の利益を守ろうとするのは極めて当然の帰結と言える。しかし、そのためならば何をやっても許されると思うのは「思い上がり」だ。人類社会の共通理念が語られて久しいが、理論や通念上では可能と思われる観念も実際の運用では予想以上に困難だ。結局は剥き出しになったエゴとエゴとがぶつかり合って決着する、旧態依然の結果主義に行き着く。

 何はともあれ人間が人間を抑圧して支配する、そんな封建社会への逆戻りだけは許してはならない。そんな当たり前の平凡な理屈が、いつの間にか私たちの身辺から失われることがあってはならないと、思いを新たにした「終戦記念日」である。私たち日本人は8月15日を「終戦記念日」と呼ぶが、実際は「無謀で無残な敗戦の終結日」であったことを忘れないで居たいと思う。