獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

夏の終わりのハーモニー

 どこかで目や耳にしたタイトルだと気づかれた人は、多分もう若くはない世代であろう。中高年世代には広く知られた懐かしい曲のタイトルだ。井上陽水が詞を書き玉置浩二が曲を書いた野外ライブ公演のための一曲である。二人の絶妙なハーモニーが際立つ名曲だが、夏の終わりのこの季節には真っ先に思い出される曲になった。

 猛暑日が続いて夏真っ盛りの観があるが、気がついてみれば大空に広がる入道雲も、木洩れ日を洩らす森の深い緑も、歩道の植え込みに落ちている蝉の亡骸も、日に日に少しずつ変わり始めている。暑い暑いと汗を拭う仕草がもうすぐ懐かしくなるだろう。始まりがあれば必ず終わりが来ると知っていても、夏の終わりは何故かもの悲しく一際印象が強い。

 夏祭りや花火大会の浴衣姿はコロナ騒動で減ったが、実施されてもされなくても夏は「祭りの後」のそこはかとした哀愁が漂う。もうすぐ終わる夏休みへの惜別の情を込めて、子供たちはいつまでも夜店を離れ難い表情を浮かべる。日本の夏がそこにあり、日本人の忘れ難い故郷の情景や情緒があった。単なる季節の移ろいを超える、色濃い感情を感じさせる季節が夏である。

 コロナ騒動が深刻な影を落とす今年も夏は変わりなく巡ってきて、そして過ぎて行こうとしている。国の営みを変え、人々の暮らしを大きく変えて、コロナの夏が過ぎようとしている。過ぎゆく夏を惜しむハーモニーは人それぞれに違うだろう。残念ながら心地よい夏の余韻を感じた人は少ないのではないかと思う。

 押し寄せては引いていく砂浜の波のように、いくら追いかけ回しても同じ波はない。人はそれぞれの心象風景を追いながら、砕けて消え去る波頭の向こうに自分を見ている。焼け付く太陽の陽射しの後は、消え残った蜃気楼が人の心に儚い幻を描く。祭りの夜店の風車のように、うつろに廻り続けても夏は無情に過ぎてゆく。

 人それぞれの心に幾筋かのハーモニーとシンフォニーを奏でながら、夏は去って行く。人の思いがどうであろうと、引き留める術がないまま夏が終わろうとしている。