獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

重病人の体調不良

 このタイトルを不思議に思われた方が少なくないだろう。そもそも重病人に"体調不良"があり得るのかという疑問が湧くだろう。かく申す私自身そんなものがあるかと思っていた。ところがいざ自分がその重病人になってみると、そのあり得ないことが実際にあることを気づかされる。良く分かるような、分からない話で恐縮だが、紛れもない事実である。

 "鶏が先か卵が先か"との論争があるが、ある意味でそれにも共通する奇妙な理屈だが、重病人にも矢張り体調不良はあるのである。特に私の場合は肺癌と膵臓癌の大手術を体験し、現在肺癌が再発している。生きていることが奇跡だと医者に言われ、当人もそう思っている。普通なら再発初期のタイミングを逃さず再手術になると思うが、当人が希望して敢えて何もしないという選択をした。

 治療という名に値する行為は何も行っていない。肺の中で再発した癌細胞が勝手に活動している状態だ。次第に増殖するのは関係者の誰もが分かっている。どう間違えても快方に向かうなどあり得ない話だ。手っ取り早く言えば黄泉国への迎えを待つ毎日を過ごしている。その日が今日か明日か、はたまた半年後か、一年後かは誰にも分からない。文字通り神のみぞ知るである。

 昨今は超高齢化社会で神仏もさぞやご多忙であろうと拝察する。ひょっとしたらでなく、ひょっとしなくても、私が黄泉国へ旅立つ日など覚えておられないだろう。神や仏のお告げがあろうとなかろうと、寿命が尽きれば私の命は終わる。そう自覚しているので格別の感慨などない。ただここまで生き長らえたことにご尽力下さった皆さんに、何千回何万回の"ありがとう"を言っても言い尽きない感謝あるのみである。

 そんな日常でも時折「体調不良」に見舞われる。息苦しさで夜半に目覚め、睡眠薬を服用して眠りにつくが早暁目覚めてしまう。呼吸が激しさを増すので酸素吸入器の助けを借りるが、酸素濃度を低く抑えているので落ち着くまで暫く時間を要する。これまで一度や二度ではない定例の症状とも言えるが、そんな日は立ち上がって歩行が困難になる。全身から力が抜けたようになって、頭がボーとして思考力が伴わない。

 そんな状態を私は"体調不良"と呼んでいるが、どこまでが持病で、どこまでを「体調不良」と呼んでいいのか定義は定かでない。いずれの場合もお世辞にも楽しいとは言えないわけで、その意味で広義に解釈すれば同一か、ほぼ同一かのどちらかになる。同じようで居て同じでないのは、紛れもなく心臓が鼓動を刻み肺が呼吸していることだ。

 その状態を人間社会は「生きている」という。生きている限りは情緒があり感情がある。決して人格が失われているわけではない。それゆえに私は重病人であっても発信し続けている。「体調不良」は現に存在するし、そんな日はブログかお休みになる。