獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

鰯雲

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 秋の日は一日ごとに様々な変化を見せてくれる。何気ない日常の中にも色々なドラマがあることを教えてくれる。移動することなくその場所に在り続ける樹木も、秋という季節を迎えて日々装いを変えていく。昨日と今日が確実に違うのだと気づかせてくれる。同じように見えるのは見る人間の思い込みで、その分自らの変化にも疎くなっている。

 空は実にドラマチックで、突き抜けるようにどこまでも高い青空もあれば、白いちぎれ雲が点々とゆっくり動くこともある。この季節は更に「鰯雲」が加わり、千変万化の趣を増す。どんなに豪華な競演を長時間見ていても、NHKのように視聴料を強制徴収には来ない。富める者にも、貧しき者にも、老若男女等しく無料公開である。

 海や野山の風景は無粋な権利者が居ないので全て無料だ。誰かのためにそこにあるのではなく、自然の法則に沿ってそこにある。人間が万物の霊長だとしても、海を作った人や山を作った人は居ない。なのに時折人間は増長して、自分本位に物事を理解しようとしたり、あたかも自分に好都合な権利などを主張する。

 不思議なことに誰にでも無料公開されている自然を見るために、まるで映画や舞台のロングラン興業の如くに列を成して一斉に出掛ける。安くはない交通費を費やし、挙げ句の果ては衣服や食料まで整えて群れて戯れる。それが当たり前であるかのように錯覚して、誰一人として自らを省みたり疑うことをしないのだ。誠に不可思議千万である。

 空や景色は特定の誰かのために表情を変えることはない。見る位置で多少の違いはあっても、等しく美しさや恐ろしさを公開している。どこからでも入場無料の天然ショーを体験することが出来る。心を研ぎ澄まして、或いは開放して、あるがままの自然を受け入れるか否かは自由だ。人間として生きるのも死ぬのも、何ら自然の責任ではない。

 小さな命か大きな命かは各人それぞれだと思うが、そんな人間の思惑を超えて天然ショーは日夜続く。エンドレスゆえ延々と終わりがない。日々色合いを深める木々の紅葉も、すくに消え失せる鰯雲も、見る人それぞれにそれぞれの感慨を残す。赤く燃えるように西空に消える夕陽にも、春夏秋冬それぞれの趣がある。気づくか否かは自分次第だ。