獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

雪桜

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 昨日までの暖かさが一転して、今朝から東京は雪になった。一面の銀景色になり、折から咲いている桜が見えなくなっている。何も可もが白一色で、雪国では珍しくない景色も、東京では珍しい部類だ。「雪桜」という言葉があるのかどうか興味を覚えて、「広辞苑」で調べてみたが見当たらなかった。

 そういう言葉がないなら自分で作ればよいと思い、勝手にタイトルにした。冬の季語と春の季語の組み合わせで、外野席から何やらの批判がありそうだがそんなことはどうでもよい。言葉として余韻を感じさせることから、自分では結構気に入っている。人間の感覚や感性と呼ばれるものは、理屈をつければそれなりに格好が付くもので、所詮はそもそもの根拠が怪しい。

 世の中は決まり切った"定番"に満ちているが、"寒さ暑さも彼岸まで"のお彼岸過ぎに突如降る雪は"定番"から外れている。外れているから珍しくもあり、面白くもある。当たり前のことが至極当たり前に行われているのは、悪口を言えば何とも退屈なものだ。現在世界を席巻している「コロナ・ウイルス」も、予期せぬ現象だから不気味で影響力が破格だ。

 止まない雨がないように、溶けない雪もまたない。白は純潔のイメージだが、虚実共に淡く儚い。すぐに消え去るがゆえに幼気ない少女を連想させる。共に必ずしも清らかであるとは限らない。見難い汚濁を包み隠すが、あくまで包み隠すに過ぎない。汚濁を消し去る訳では決してない。長く降り積もる北国の雪も、時期が来れば実態を曝け出す。

 それでも人は何故か雪に淡く儚い夢を託すようだ。小難しい理屈は脇へ置いて、それぞれ都合のよい理由を重ねて雪を見る。目に映る景色が美しいか否かは人それぞれだろう。例えどう見えようと、どう見られようと、関知せず雪は降り続ける。この分だと東京の雪も降り積もるかも知れない、そんな予感を感じさせつつ雪が降っている。