獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

不思議な国の不思議な言葉

 昨日「おかしな時代のおかしなGo-To制度」を書いた。その流れで恐縮だが、ついでに本日は「不思議な国の不思議な言葉」に触れたい。世の中には実に奇妙で面白いことが"てんこ盛り"だ。「事実は小説よりも奇なり」とは誠に当を得ている。

 いつの間にか変化する時代に連動しているわけではないと思うが、日本人が使う日本語に奇妙な表現が増えている。奇妙ついでに言えばその日本語の純度において、外国人が使う日本語の方が余程優れているようだ。文法や用語について基本原則の忠実度で軍配が挙がる。日本に生まれて日本人を長くやっている私たちほど、日本語については怪しい。

 「分かる」という表記がある。今日日常的になった代表例の一つだが、漢字の単一解釈では"分別"とか"分断"を意味する「わける」が正解だろう。それがいつの間にか「判る」に置き換えられて、「分からない」とも表記されるようになった。往年の小学校の国語テストでは正解の○ではなく、間違いの×になった筈である。

 難しい国語学言語学の解釈は兎も角として、「分ける」と「判る」は本来別の言葉である。一般的な用例になっていると国語審議会で認定されて、実に奇妙な日本語が誕生したのだが、私たち日本人の耳には善し悪しは別としてお馴染みになった。私たち日本人の何人がこの用法に疑問を感じているだろうか。

 更に奇妙な日本語の類例を拾うと、本来「目処」と表記すべき処を「目途」と表記して恥じない例が山積だ。実に奇妙で面白いのが国会答弁である。国権の最高機関が抱腹絶倒の珍妙な日本語に彩られて、いかなる落語や漫才も及ばない"笑劇場"を演じている。一般的な日本人としての常識を心得ていれば、「もくと」という表現などあり得ない。

 ごく普通に解釈すれば「目途」も「目処」も同意語で、発音も同じである。それをわざわざ「もくと」と読んで答弁するから、その答弁が官僚ペーパーの丸読みであるのがバレバレである。それでなくても訳が判らない"迷答弁"が余計に訳が判らなくなり、その結果"迷走"を繰り返す羽目になる。内閣総理大臣や各大臣が揃って同じ轍を踏むのである。

 その他にも怪しげな日本語は枚挙の暇がない。猫の目のように色々に変化する我が国の文教行政は、大学入試制度ばかりでなく土台の日本語も怪しくした。自分が何をやっているのか良くお判りになっていない歴代の文部科学大臣の下で、ご都合主義の政治を反映した"怪制度"が運用されている。いつの日にか「日本人が日本を忘れる日」が来るのではないかと危惧しながらも、無責任にそれを楽しみにしている。