獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

田舎蕎麦と小鯛の笹漬け

 善し悪しは兎も角として日本人家庭では正月料理は矢張り「おせち」だろう。見るとはなしに目にしたBSテレビで「和食」のドキュメンタリー番組があった。例年のことながら年末・年始は"アホバカ番組"のオンパレードの趣で、矢鱈にうるさいのでテレビは休眠するのが我が家の恒例である。

 「和食」が世界文化遺産に登録されて、海外で静かな"和食ブーム"を呼んでいるのは知っていたが、番組が紹介していたのは「和食を知らない日本人」であった。世界文化遺産に登録されるまでの経緯が紹介されて、学者や文化人ではない料理人たちのプライドと奮闘振りが綴られ大いに興味と関心を刺激された。

 これまで何度も繰り返し「日本語の危機」を訴えてきた。長い歴史と伝統を持つ日本語が激変していることに無関心な日本人が増えて、遠くない近未来に私達は外国人教師に日本語を習う日が来るであろうと警鐘を鳴らした。それと近似した現象が同じ日本文化の「和食」にも見られることに驚き、改めて日本文化と日本人を考える正月を過ごした。

 食文化も言語も人間生活には欠かせない重要グッズである。片方のみならずその両方が可笑しくなっていることは、日本文化そのものが可笑しくなっている何よりの証明でもある。取り分け食文化は好むと好まざるとに関わらず、人間が生きる根源である。嗜好性は色々あっても、食べずに人生を全うすることは出来ない。

 細長い日本列島は広くはない領土を様々な文化で彩ってきた。交通手段がない古代から超便利な高速輸送網に加えて冷凍保存技術が発達した現代とでは、口にする食材も大きく変わった。グローバル時代の到来で先進国・後進国の別なく世界の食材が食卓に登場している。郷土色と言われたそれぞれの地方文化が失われても、それでもなお未だ数多くの郷土料理が守り伝えられている。

 市場経済の利益万能主義が世界を覆い尽くしている観がある現代だが、それでも日本人には日本人の食文化がある。「和食」は決して特別の料理ではない。長い年月私たちが口にして、血となり肉となっている食事である。それを否定する日本人は居るまい。鎖国から文明開化へと急激に方向転換した明治維新以来、欧米に追随してひたすら模倣に明け暮れた年月が100年を超えた。それでもなお"欧米崇拝"が未だに根強く残る。

 フランス料理と中華料理に代表される食材と調理法は公式になり得ても、「和食」を公式料理と認識する日本人は世界文化遺産に登録されるまでは皆無に近かった。それほどまでに私たち日本人は自前の文化に目を向けて気づこうとしない。100年1日の如く、未だに有名店で提供される欧米料理の高価なステーキを高級だと盲信している。日本人が肉食を始めたのは明治維新以降だ。

 食文化は風土と生活様式の影響を色濃く受ける。その土地に根ざした暮らしと無縁ではない。その土地でしか味わえない妙味こそが"グルメの真骨頂"であると確信する。テレビの料理番組に登場する矢鱈に豪華で、矢鱈に高価な料理を礼賛する評論家や芸能人の類いが何ゆえグルメなのか。怪しい日本語の類型で、ここでもグルメという言葉が誤解・誤用されている。

 数万円を支払わねばならないコース料理が旨いのは当たり前で、それをグルメだと言い囃す輩の感覚を疑う。そんな料理を毎日口にする日本人がどの程度居るというのだろうか。日本人にとって「和食」の醍醐味は日常的で身近であることだ。京都の老舗料亭へ出向かなくても、住居地のどこかしこに「和食」を提供する店は沢山ある。大衆食堂や社食、立ち食い蕎麦店まで無数にある。

 身近な場所で気軽に立ち寄った店で、或いは料理自慢な女房殿の手料理で、忘れ難い妙味に出会う機会は幾らでもある。我が家の正月は5人前の「おせち」を老々夫婦二人で食べ尽くして、七草が過ぎてからは"腹休め期間"になった。出来る限り簡素な食事を心掛けている。今朝の朝食は信州産の田舎蕎麦と、若狭小浜の名産小鯛の笹漬けである。

 蕎麦は値段が安い乾麺で手編みの竹笊に盛り付け、小鯛の笹漬けは酢漬けだ。おろし立ての伊豆産ワサビを効かせれば、言うに言えない絶品の妙味だ。決して高価ではないが、自己流の採点では数万円のステーキに勝る味である。肌黒い田舎蕎麦と透き通るように白い小鯛の笹漬けのトッピングは我が家のオリジナルで、多分他では味わえないだろう。今頃は雪深いであろう信濃路と、降る雪に霞む若狭湾が脳裏に浮かぶ。

 昔々の話になるが、北陸本線の特急列車の車内販売で初めて口にした「小鯛の笹寿司」に感激して、仕事はないのに何度も同じ列車に乗った。目的は「小鯛の笹寿司」弁当を買うためである。漁獲量が少ないため販売される弁当の数が限られ、すぐに売れ切れることもその時に知った。普段は昼近くまで寝ている夜型人間が、駅弁を買うため朝6時に起床して駅弁が売り出されるのを待った。

 「初恋の味」という言葉があるが、以来半世紀以上の時間を経たが私の"初恋"は未だに続いている。他用はなくとも駅弁を買うため北陸路を旅した。まるで初恋の人を訪ねる感激がその都度私の胸に甦った。富山の「鱒寿司」は全国で売られているが、若狭の「小鯛の笹寿司」は現地でしか買えない、私にとって"幻の駅弁"であった。

 グルメという言葉が世に登場し、"売らんがための商魂"と結びついて氾濫した。真意が理解されることよりも、上っ面の格好だけが真似られ濫用されている。ここでもまた日本語同様に「真の豊かさ」が見失われて、チャラチャラした"上滑り文化"を形成している趣がある。更に多くの日本文化の基盤は大丈夫だろうか。

 この信州産の田舎蕎麦と、若狭小浜の名産小鯛の笹漬けが我が家に登場るまでに、どれほど多くの人達が懸命に努力してくれたことだろうと胸が熱くなる。食文化とは、「和食」とは、そんな日本人の暮らしと心が宿っている。「甘い」とか「旨い」とか言って、そこに留まる限りグルメの世界とは遠いと私は思っている。日本語同様に食材や味にも奥深い世界がある。"喉元過ぎても"真の美味しさは余韻として残るのである。

民主主義の化けの皮

 アメリカ・トランプ政権の断末魔が荒れ狂っている。元々正常ではない"おつむ"の持ち主が、こともあろうに世界の超大国で民主主義の殿堂の如くに思われていたアメリカ合衆国の大統領に当選した。理想主義の旗を高々と掲げた前オバマ政権とは、文字通り天地に余る違いが明白だった。政党政治の終焉と民主主義の綻びを見事なまでに世界に示した。

 国家を形成し世界を導くイデオロギーが消え失せて、現在眼につくのは専制政治と化した共産主義社会主義だけである。限られた一部の人間が権力を欲しいままにして、己と周辺の保身に身をやつしている。主義・主張はどこ吹く風で、旧王朝時代を凌駕する世襲制まで蔓延るに到っている。かつての民衆革命は影も形もなく、恐怖に踊らされる"羊の群れ"に変容している。

 キリスト教文化圏を支配する"伝家の宝刀"民主主義が揺らいでいる。余命幾ばくもないアメリカ・トランプ大統領を支持する"アホバカ国民"が、暴徒と化して民主主義の殿堂アメリカ議会へ雪崩れ込む図は、一体誰が想像し得ただろうか。世界の主権を欲しいままにしてきた超大国に、最早民主主義が存在しないことを示して余りある。

 爛熟期に突入した近代資本主義は「市場経済」という徒花を咲かせて世界に君臨するが、"利益一辺倒"の弊害が随所に見られるに到っている。「民主主義」という名の張り子の虎はズタズタに切り裂かれて、今や「市場経済」の果実に奉仕するのみの様相だ。強者が弱者を食い尽くす図式が正当化されて、今や現代経済学の主流を成している。

 民主主義がその名の通り民衆のために存在すると考える人はまず居ないだろう。その形骸は選挙の度に繰り返し"口先の方便"として多用され、候補者である政治家の言葉が真実と思う国民は居ない。白昼堂々と他の議員や関係者に現金をばらまく議員が、こともあろうに法務大臣に任命される国家が民主主義の正体である。

 "おつむが弱い大統領"を奉賛する"アホバカ国民"が、法や制度を無視して暴れ回っても現代社会ではちっとも珍しいことではない。同じような図式が世界の国々の各所で見られるが、珍奇さ以外には目が向かないマスコミは一切報道しない。権力とカネででっち上げられたマスコミ報道に飼い慣らされた世界の国民は、目が見えるのに盲目化して牙を抜かれている。

 制度疲労が著しい民主主義は"カネの亡者"のグッズとなり、富めるものは更に富む現代社会に貢献している。世界を席巻している新型コロナウイルスが自然発生したと考える人達は誠にハッピーで、どこかの国の誰かが世界の覇権を目論んで拡散させた事実に踏み込もうとしない。薄もやが立ちこめたような地球上で、来し方で笑顔になるのは一体誰か。

 間もなく政権交代が行われる地に落ちた超大国アメリカではなく、天文学的借金を積み上げて誰も責任を感じない先進国の我が日本でもない。「責任」という言葉が失われて、身勝手が「自由」だと誤解される風習が一般化すれば、間もなく「やりたい放題」が民主主義になる。チャラチャラと飾り立てた芸能人が「専門家」だの「知識人」に化けているのも平和ゆえだろう。

 嘘と真実が逆転すれば民主主義ほど便利なものはない。何でもが「正義」になり得るので、善意と悪意もまた怪しくなる。身勝手な正義で武装し、市場経済を味方につければ文字通りの「天下無双」である。さて新年早々命が続けばどう生きるか、思案に迷う新年の始まりである。

新年事始め

 世の中がどうあろうと老々世帯の我が家は何事もなく平和に新年を迎えた。特に新しい年を迎えようとの希望や念願があってのことではないが、何もせずとも自動的に新しい年が始まった観が強い。高齢者の年明けは誠にのんびりしたもので、特別の感慨もないままに松がとれて正月飾りが消えた。七草粥も早くも過ぎた。

 新年は家族の絆が強調されて再確認される機会だが、息子が一人でその息子に子供が居ない我が家は他の家庭と異なって賑やかな孫や曽孫が居ない。その恩恵で齢80の老夫婦は未だに「お爺さん」「お婆さん」と呼ばれることがない。当人達はお互いにそう呼ばれることに違和感を感じて、「おじさん」「おばさん」のまま年を重ねている。

 物事の善し悪しは実に様々で、中には当事者には都合が良くても他人迷惑な類いのものも少なくない。多分そうであろうと予想しつつも、格別の抵抗感がないままに呑気に「おじさん」「おばさん」を続けている。誠に"天下太平"である。だが世の中を見廻せば "天下太平"と正反対の現象ばかりが眼につく。

 過ぎた年を派手に彩った新型コロナウイルスの感染拡大が、正月呆けする前からのんびり主義の我が国政府によって緊急事態宣言だか非常事態宣言と相成った。「おめでとう」と皮肉の一つを言わざるを得ない事態認識には、毎度のことながら批判する気力さえ失うが、今更ながらこの国の野放図な現状を再認識させられている。

 最前線の医療現場から「逼迫」や「危機」が叫ばれても、聞く耳を持たずに正反対の感染拡大施策を実施したのは紛れもなく現菅政権である。税金で補助するから大いに遊び、大いに飲食しようと奨励したのはどこのどなたか。その当事者が一片の責任感もなく、どの"面"下げて緊急事態宣言だの非常事態宣言を口に出来るのか。

 無分別のそしりを免れ得ない暴走政策を実行しておきながら、我関せずとばかりにもっともらしい言葉を並べる厚顔破廉恥ぶりは、さすがに前安倍政権肝煎りの「鉄仮面」を地でいっている。選挙の洗礼を受けることなく、"棚ぼた"で予想外の政権を手に入れた「策士」ぶりが際立つ菅義偉現総理である。

 国民の誰からも期待されずに突然登場した現菅政権には、信頼や信任という言葉が見当たらない。法制度を巧みに利用して合法化すれば、誰も望まない人物が突如最高権力者になっても国民には拒否する手段がない。"アホバカ国会"でも選挙で有権者に選ばれたのだから、最高権力者を選任する特権が付与される。

 今更のように理屈を言ってもしょうがないが、殊更考えずとも腹立たしい新年の幕開けである。年賀状に並ぶ祝賀文字が何やら空疎に思えるのは多分私だけではないだろう。晴れ晴れしい顔をして「おめでとう」などと言う気には到底なれない。新型コロナウイルスの感染拡大は一都三県に留まることなく続くだろう。「後手後手主義」の現政府が有効策を打ち出せるとは矢張り思えない。

 今年もまた「厚顔破廉恥な無責任」が大手を振って闊歩する、そんな時代を予感させる年明けである。それでもなお、世界屈指の借金大国でも、国民は平和と豊かさを享受している。そしてまた我が家もその恩恵に浴して穏やかで平和である。目出度いという意味は多分そのことを指すのだろうと、良く判らないが納得することにした。

行く年来る年

 朝から快晴の大晦日になった。何はなくとも晴れた青空は気持ちが良い。昨日30日は雨の予報が東京多摩地区は小雪がちらついたそうだ。ガラス越しにベランダの向こう側を凝視したが、視聴覚に支障がある病人高齢者の目では確認できなかった。厚い雲に覆われた空からは雪がちらついても不思議ではない朝だったので、午後になって雲の切れ目から陽が差して青空が見えた時は、まるで子供のように嬉しくなった。

 そんな些細なことに驚いたり嬉しくなったりする日常だが、今年は非日常的新型コロナウイルスの出現で世界が揺れた。今もなお感染拡大を食い止められずに世界が右往左往している。去年の今頃にそんな1年を予想した人が居たであろうか。人間社会と人間生活は誠に何が起きるか予知できない。それでも政財官界は相変わらずだし、世界の終わりを訴える人も居ない。

 誰もが自分のこととして解決しようなどと思わない不思議な社会現象が、いつの間にか世の中に定着して「日常的な当たり前」になった。殆どの人が自己責任を棚に上げて、誰かが何とかしてくれると漠然と思い込んでいる。新型コロナウイルスには正義も不正義もない。善悪の色分けも出来ない。誰もが当事者なのに、誰もがそう思っていない。正体不明の"第三者"が居て、姿を現さずに"ほくそ笑んで居る"不気味な様相である。

 "火のないところに煙は立たず"と言われる。現在の新型コロナウイルス騒動は、私達が気がつかない内に蔓延した「現代社会の鏡」であるようにも思える。誰しもが知っている筈なのに、誰しもが本質に踏み込もうとしない"他人感覚"で、まるで浮遊しているように生きている。都合の良いことは自分に取り込んで、都合の悪いことには目を背けて見ないようにする。"自者と他者"を巧みに使い分けて、その間を瑕疵なく泳ぐ技術の鍛錬に忙しい。

 新型コロナウイルスに向き合う医療現場は悲惨である。誰もが目を背ける中で唯一の当事者に仕立て上げられて、自らの生死を担保に戦わざるを得なくなっている。立法府や行政の側の誰が例え1日たりともその現場に立てるだろうか。"自分事"として捉え得るか。幾重にも防護策を講じて、安全な場所で"屁理屈"を述べるだけなら誰にでも出来る。そんな「他人行儀」が大手を振って罷り通っている。

 過ぎ去るものへの追慕は未練である。善きにつけ、悪しきにつけ、2020年は今日で終わる。国中を湧かせた観があった2020東京オリンピック新型コロナウイルスで延期された。その結果が吉と出るか凶と出るかは未だ判らない。様々な荷物を積み残して2020年は暮れようとしている。最長不倒を延長し続けると思われた前安倍政権が突然終焉した。"史上最低"を欲しいままにしたアメリカのトランプ政権も短命の幕を閉じる。

 何がどうなって、どう変わっても、私がここに生きている事実は絶対だ。来年同じことを言える自信は更々ないが、若し万一生き延びたとしたらそれこそ奇跡だ。世界がどうであれ、自分の命をつなげるかどうかこそ私の真実である。全てに優先すると言って過言ではない。人間は誰しもがそんな人生と日常を生きている。終わりも始まりも「命」あってこそである。

年の瀬

 高齢者には凡そ実感が乏しいが何やら"年の瀬"になった。新型コロナウイルスの猛威に振り回されての情けない"年の瀬"である。世界は未だその新型コロナウイルスから抜け出せないが、感染拡大の第3波に突入しても我が国は依然として「非常事態」ではないらしい。誰もが他人事のように認識して行動する「平常」のようだ。

 一部に様変わり現象は見られるものの、年の瀬の街には人が溢れいつもの年末光景と違いを見つけるのが難しい。口には出さずとも国民の多くは新型コロナウイルスの猛威が「明日は我が身」と思っては居ない。何やら"場当たり的"政府の発言や対応を見ても、言葉とは裏腹な「呑気な他人事」との認識が見え見えだ。

 殆ど外出しないと言うか、外出できない病人には「外出自粛」と関わりないが、それでも暮れになって老妻殿にコロナの疑いが持ち上がった。PCR検査の結果「陰性」が確認されて一件落着となったが、その影響で容態急変で入院させられた私の退院が延期された。若しコロナに感染したら「万事休す」事態になるのが確実な肺癌再発患者なので、是非を抜きに納得せざるを得なかった。

 浮き世の現実から距離を置いて暮らしているつもりの高齢者世帯にも、人並みに年の瀬は訪れ正月が来る。特にどうという変化はないのだが、何となく世間の風が吹き込んでいつの間にか巻き込まれて"慌ただしくなったり"、"目出度い気分"になったりするから不思議である。ご馳走にありつける嬉しさも人並みにあり、「喰うことが最大の生き甲斐」と自認する病人高齢者には楽しい"年の瀬"である。

 人生とは善くしたもので、喰うことを生き甲斐とする亭主には何故か料理自慢の女房が連れ添っている。その女房殿も齢80となってさすがに往年の元気は衰えたが、それでも連日コロナ騒動渦の街へいそいそと買い物に出掛ける。大量に持ち帰るスタミナはないので全部"配達依頼"だが、届く度にその量の多さに驚かされる。老々夫婦世帯には不似合いな銀色の大型冷蔵庫は常に満杯だ。

 今度の正月はいつも来る息子夫婦の年賀挨拶がコロナ渦で"自粛"になった。久々に老夫婦だけの"水入らず"正月になる。他人の来訪はすべて辞退しているので来客はなく、晴れたり曇ったりする天候に静かな正月気分を味わうのが恒例だ。明日の我が身が判らない重病人だが、それでも奇跡と思える4度目の正月を間もなく迎える。人間の幸せとは、人生の慶びとは、そんな「何気なさ」であるように思う年の瀬である。

呑気な年末の呑気な緊急入院

 年末の緊急入院が初めてではない"前科者"だが、今度もまた久しぶりにその再来となった。お世辞にも喜ばしいと言えることではないが、新型コロナウイルス感染拡大が第3波に突入した渦中での緊急入院は異例ずくめである。医者が緊急入院と判断した重症患者でも、病棟へ入る前にはコロナウイルス検査が義務付けられる。車椅子や搬送ベットで運ばれた患者も等しく、新患同様である。

 病棟へ通じる裏口に用意されたビニールテントへ押し込められて、テレビでお馴染みの検体採取が行われる。それ以降は付き添い家族とも面会が許されず、約40分余の時間を寒いビニールテントで検査結果を待たねばならない。「陰性」との検査結果が出て始めて病棟への入室が許可される。付き添い家族へ預けた所持品も受け取りが許可されず、改めてウイルス検査を経て病室へ届けられる仕組みである。

 事前の通告が何もないので何が何やらさっぱり判らず、戸惑うことの連続で「着のみ着たまま」の緊急入院と相成った。突然の緊急入院ゆえ家族へ伝えることや依頼することなどが少なからずあるのだが、面会禁止でそれらはいずれも認められなかった。名実ともに一般社会から隔離される扱いになる。一歩病棟へ入ると家族であっても面会は一切認められず、電話での会話のみになる。連日テレビ報道で伝えられる「新型コロナウイルス感染拡大第3波」の威力を、否応なく実感させられた。

 病状そのものは肺癌と膵臓癌手術を受け、その他十数種の合併症や持病を有する「肺癌再発重症患者」である。手術を受けた大学病院で「生きているのが奇蹟」と言われた曰く付きの重病人だ。自ら治療を拒み、"現状維持"を最優先している一筋縄でない患者なので、がん細胞のご機嫌次第で毎日の体調が激変する。当の本人は慣れているが、大学病院から転院して馴染みが浅い現在の「訪問診療医」は、実際の激変度を知らない。

 たまたま最悪体調日に来合わせて、直ちに「緊急入院」との判断に相成った。体調が安定している時はごく普通に生活して不自然さが感じられないようだが、それが本人の想像を絶する努力の賜であるのを知らない故に、常識的な医療判断が下された結果である。医師としての好意的判断なので文句はないが、この程度の事態で「緊急入院」が必要であれば常時入院していなければならないのである。

 体力が限界値ギリギリで全身麻酔の使用が無理と判断されているので、事実上行える医療行為は限られて患者本人がそれを認識している。ゆえに治療や処置は何もない奇妙な「緊急入院」になった。"奇妙な患者"を自認しているので対応する医師や看護師に戸惑いがあり、事実上医療行為なき入院生活を余儀なくされた。コロナ禍中での誠に呑気な顛末と相成ったのである。注射一本、点滴一本なしの2週間を病院で過ごす羽目となった。

 私自身の入院次第は以上の如くだが、周囲を見渡して驚いた。私が案内された4人部屋ばかりでなく、病棟内のすべての病室がオール老人である。自立歩行できるのは私一人で、室外のトイレへ歩く姿を他の病室の患者が食い入るように見詰めるのである。恐らく他の患者の誰よりも重症だと思われる病状の割には、すべての行為を看護師や介護士の手助けを受けずに自分で行うのが「奇妙で不思議」らしい。

 普通のことを普通に、当たり前のことを当たり前に行うこと自体が異質視される医療機関という空間では、「非常」と「正常」が逆転するようだ。何らの生産性に連なる行為もなく食事をして、昼夜の別なく豪放な"いびき"をまき散らして寝入るのが「正常」であって、人間としての品性や尊厳に拘るのは異質で「非常」に見えるらしい。入院当日から異なる空気感と違和感が強かったが、日を増す毎にそれは「異質感」となって私を支配した。

 "超高齢化社会"という現下の現実を直視すれば宜なるかなとの感慨がよぎるが、その現実が凝縮されて目の前にあった。四方八方どちらを向いても"老醜"のオンパレードで、自分もその一人であることを忘れて思わず目を背けたくなった。「老人医療」「見守り医療」「訪問診療」などの言葉が世に溢れているが、長寿社会の副産物「認知症」と向き合う高齢者を専門に受け入れる病院という名の「老人施設」で、図らずも2週間を過ごしたのである。

 更に驚いたのは退院後で、患者の私が提案した腹部CT検査の要望に対する担当医師の返答である。高齢で再手術が困難な患者が、自ら選択した「現状維持」の治療方針に逆行する検査要望は無益であるとの判断だ。実際に治療方法がない末期の患者であっても、最新の病状を知る権利は医療倫理で保障されているはずで、3ヶ月毎に定期検診を欠かさなかった大学病院とは全く異なる見解が返ってきた。

 予期せぬ「緊急入院」で実際に目にした病室の様子と、私の検査要望に対する担当医師の返答を重ね合わせると、常識的医学上の倫理観と異なる現実が否応なく見えた。世間体が良い「訪問診療」の実態が垣間見えたのである。時代の要請を受けて誕生した「訪問診療」は、表向き重症化や高齢化で通院が困難になった患者を医師が訪問して診察する仕組みである。しかし実際に行われているのは薬の処方箋を発行するのみで、重要な筈の検査や処置は殆ど行われない。

 私のように薬の処方や検査の必要性、治療内容まで患者が立ち入るのは多分「異例中の異例」だと認識しているが、それなりの根拠と裏付けを得るために並々ならぬ努力を払って来た。友人に依頼して海外の著名大学が発表した論文調査もしている。口幅ったい物言いをすれば月並みな"へぼ医師"以上に調査・研究しているとの自負がある。お世話になった大学病院ではその前提が評価されて、各科の主治医と公私の別ない人間的信頼関係が築かれた。その上で得られたのが「現状維持」の治療方針である。

 多分知見や認識度で他の患者と大きく異なるだろう。一概に比較するつもりは毛頭ないが、人間の生命をどう認識するかは医学そのものの根本である。何らの治療も検査も必要でないなら何のための診察なのかを問わねばならない。例え如何なる病状であろうとそれを検査・確認して、どう手立てを講じるかが医療である筈で、「検査して症状の変化が見られたとしても、その時は終末なので検査しても意味がない」とする医師の言葉は凡そ認め難い。

 半年間一度も行われない検査に痺れを切らして患者側から要望したのが、医師法に定める医師の主権を侵す行為とでも言うのであろうか。その診察日は生憎体調が優れず、会話のやりとりに疲労感が否めなかったので、それ以上踏み込んだ議論は遠慮したが後味が良かったとは到底言えない。悪意で解釈すれば、「訪問診療」は実際には何もしなくても多額の診療報酬が保険機関から支払われる。事実上の「見守り」に徹すれば、様々な診療科の専門医を配置することなく、内科医だけで事足りるのである。

 ここで事業性を云々するのは本意ではないので止めにするが、時代の進化で医療も様変わりを余儀なくされているようだ。皮肉を込めて言えば「病気でない元気な高齢者」が「商品」になっている趣を否定できない。爛熟した資本主義の市場経済は「終末医療」という名の"新商品"を産み出して、尚も貪欲に「利益追求」の手を緩めないらしい。今のご時世は翼々考えて生きねば、誰のために、何のために生きているのかが怪しくなる。

 コロナ禍の真っ只中で、税金を使って補助するから"大いに遊びましょう"と政府が奨励して、結果的に爆発的コロナウイルスの感染拡大"第三波"を招く時代である。誰が誰のために何をしようとしているのかが良く見えない。メガネやコンタクトレンズを新調しても、多分視界が劇的に改善されることはないようだ。業者の利益に奉仕するのみだろう。本当は大変な情況で呑気になどして居られないのだが、その大変さ自体が"ピンぼけ"で本質が理解されてるとは思えないので、矢張り「呑気」と思わざるを得ない。

 そんな「呑気な年末の呑気な緊急入院」であった。

増える「喪中欠礼」減る「年賀状」

 師走12月になって、暇な高齢者はそろそろ年賀状の用意を始める季節だ。「年賀状発売中」の赤い幟が風にはためいては居るが、何故か今年はその気になれない。例によって今年も「喪中欠礼」の葉書が増えた。比例して購入する「年賀はがき」の枚数が減る。否応なく"寄る年波"を実感する嫌な季節でもある。

 年賀状の言葉は例外なく新年を言祝ぐものばかりだ。新しい1年のスタートに当り、お互いの健康を祈念する。けれども後期高齢者世代は正真正銘の健康人が殆ど居ない。皆それぞれにどこかに支障を来し、不都合を我慢して生きている。本当を言えばとても目出度い気分になれないのが本音である。

 それでも精一杯無理をして目出度い言葉を連ね、見た目が綺麗な華やいだ賀状を用意する。若い時分には意識することがなかった文面や絵柄も、年齢を重ねる毎に派手な趣に変化する。「まだ生きて居るぞ」と生死報告なのだが、受け取った相手もしっかり忘れない几帳面さを見せる。若い時分はかなりいい加減だった奴も、老後の年賀状は別の趣だ。

 実際に会う機会があれば判ると思うが、足腰が弱って殆ど動けない奴も、呂律が怪しくなって満足にしゃべれない奴も、不思議に年賀状だけは元気に見える。元気そうで良かったなどと油断すると、翌月早々に"死亡通知"が届いたりする。そんな独特な高齢者の歳末だが、自分の"死亡通知"を用意せずに済んだだけラッキーだ。相手も多分そう思うだろう。

 高齢者の年末・年始は色々だが、1年ぶりに年賀状を受け取って声を聴きたいと思っても、お互い難聴で電話が使えない。手紙やはがきを書こうにも手が震えて用を為さない。勢いスマホやパソコンに頼らざるを得ないのだが、中には視力障害で文字の判読が容易でない奴も居る。私もその視聴覚障害者の仲間入りして久しいが、まだ何とか自分で用意している。連れ合いや子供が用意したものよりは、"多少ましだ"と自讃している。

 当人は生きているだけで、何らの労も要していない類いの定例賀状が年々増えるが、喪中の知らせよりは余程いい。こちらも生きているだけなので他人をとやかくは言えないのだが、一応の消息を短く添えたオリジナル賀状を用意するのが恒例だ。近年は健康状態の説明を省いてスナップ写真を入れている。夫婦共に画像になると病人気配が消えて元気に見えるから面白い。それがせめてもの祝意と心得ている。年明けは果たして何枚の年賀状が届くだろうか。