獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

生活雑感

時代の幸不幸

私たちは誰しも親を選べないし、生まれ出る時代を選ぶことも出来ない。生物学的理屈は抜きにして、生まれ出た瞬間からある種の不可抗力を背負っている。自分の努力が及ばないから不可抗力なのだが、その意味で川の流れに似ているかも知れない。「ゆく川の流…

胡散臭い風習

世の中には各種の「胡散臭さ」が"てんこ盛り"状態だが、どれが一番で、どれが二番と区分けするのが難しいほど溢れている。高学歴化が言われ出して、世に"インテリげんなり"が増えるにつれて余計煩雑になったようだ。胡散臭さの有力候補がここにも隠れていて…

老いて尚も歌心

老いて尚も"歌心"を失わない菅原洋一に幸いあれと祈りたくなる。多分に主観的で恐縮だが、最近の歌は歌かと疑わざるを得ないものがやたらに多い。まともに最後まで聴くに耐える歌がない。その反面でどの歌い手も耳障り良く歌が上手だ。お断りするが、上手な…

台風という非常災害

台風の季節になった。現在10号が沖縄と九州に来襲中で、異例の早期記者会見を開いた気象庁によると、「経験したことがない規模の猛威」だそうである。私たち人間が自分たちで招いた自然災害とは言え、人智を遙かに超えて襲い来る猛威には為す術がない。未曾…

馬鹿げた自民党「草競馬」

連日マスコミが伝える自民党総裁選に関するニュースに接して、世の中には何と馬鹿げたことが有り得るものだと妙に感心している。とうの総裁選立候補予定者も予定者だが、それを如何にも重大ニュースのように報じて恥じ入る素振りも見せないマスコミ各社にも…

重病人の体調不良

このタイトルを不思議に思われた方が少なくないだろう。そもそも重病人に"体調不良"があり得るのかという疑問が湧くだろう。かく申す私自身そんなものがあるかと思っていた。ところがいざ自分がその重病人になってみると、そのあり得ないことが実際にあるこ…

アーチストの賞味期限

私たちは毎日の生活の中で食品の賞味期限を気にしながら暮らしている。食品の種類によって違いがあって期限通りのものもあれば、賞味期限が過ぎても美味しく食べられるものもある。中には賞味期限ギリギリか、少し過ぎたくらいがむしろ美味しいものが少なく…

蝉と鈴虫

季節の変わり目は何某かの感傷を誘う。特に存在感が抜群の夏の終わりは格別だ。8月最後の日になって、明日から9月が始まるのだと思うと途端に何やら一抹の寂しさが湧き出るから不思議である。暑い暑いと言って、迷惑顔をしていたのは誰だったけと問いたくな…

夏の終わりのハーモニー

どこかで目や耳にしたタイトルだと気づかれた人は、多分もう若くはない世代であろう。中高年世代には広く知られた懐かしい曲のタイトルだ。井上陽水が詞を書き玉置浩二が曲を書いた野外ライブ公演のための一曲である。二人の絶妙なハーモニーが際立つ名曲だ…

本物の歌と偽物の歌

外出が出来ない重病人の高齢者は毎日様々な音楽と付き合っている。難聴の自己流リハビリを兼ねているので、漠然と聞き流すのではなく結構真剣に音と向き合っている。70年代には制作者として数多くの音楽現場に関わったので、音に対する習熟度は人並み以上と…

大切な時間

私たちの日常は特別の努力をしなくても誰しもに平等に時間が訪れる。余りにも当たり前すぎて特別の感慨を持つ人はまず居ないだろう。時間は目に見えるわけではないし、その存在を実感するのは何かしらの人生の変化があった時であろう。善いにつけ、悪いにつ…

ipod一新

高齢者が難聴対策の一環として始めた音楽リスニングだが、難聴と一口に言っても色々ありで、高い音や低い音などの特定の周波数が聞き取り難くなる傾向が一般的のようだ。私の場合もご多分に漏れずの典型例で、耳鼻科で聴力検査を受けると高い音と低い音に加…

麺の涼味

連日の猛暑はいい加減うんざりだが、せめてもの涼味を求めるには麺がいい。氷菓は一過性のため一瞬で消え去るが、お馴染みの夏の定番「冷やし中華」を始め盛り蕎麦などの日本蕎麦、伝統のそうめん等々は健在だ。5月頃から我が家の朝は麺類と決まっている。出…

終戦記念日

世の中にはどう思っても理解に苦しむことが少なくない。普通に考えればあり得ないことに多くの人たちが真剣に向き合っているから不思議である。事柄は大小様々だが、大を言えば連日テレビで報道されている香港の民主化運動もその一つだろう。誰がどう考えた…

介護ベット

人間世界は色々様々なことに彩られているが、時々世にも不思議なことに出食わす。改めて生きていることの素晴らしさを噛み締めざるを得ない。一見無為に過ぎていくように感じられる日々も、少し視点を変えてみれば思いがけない感動に出会えるだろう。折角の…

散歩の憧れ

何やら妙なタイトルになったが、昨年まで出来ていたことが今年は出来ない。その落差を実感しながら、ガラス戸越しの景色を愛でている。濃い緑の森に飛び交う蝶と戯れた、それだけの、たったそれだけのことが、今は遠い日の郷愁の如しである。人間に与えられ…

猛暑の後先

ここ数年恒例となった猛暑だが、今年の猛暑はコロナウイルス対策が加わったので一段と暑い。各地で開催される盛大な祭りが軒並み中止となり、夏の風物詩が大きく様変わりしている。「当たり前や普通」と呼ばれる諸々のものは、意識しなくてもすぐ傍にあるの…

お盆休みと帰省

急に現れたコロナウイルスの感染拡大で夏模様が様変わりしている。日々記録を更新し続ける感染者数に、万事に呑気なこの国の制度も外食や行楽を奨励するキャンペーンをスローダウンせざるを得なくなったようだ。それでも政府が振る旗に乗っかって行楽に出掛…

坂道の途中で

人間生きていれば色々な坂道に出くわす。実際に足を運んで上り下りする道もあれば、心の中の幾多の坂道もある。いずれにしても苦難や苦渋を強いられる厄介な行程である。それでも人間は自らの人生において、平坦路ばかりが続く生涯を思い描くことは少ない。…

味気ない音楽と味覚

長雨の後の猛暑である。コロナウイルスが威力を減じずに、人間世界の懸命な努力にも関わらず相変わらず勢力を維持し続けている。旧盆が近づいて例年なら故郷への帰省や、バカンス旅行に盛り上がる時候だが、今年はすっかり様変わりの様相だ。またぞろ外出自…

何気ない日常

普段の生活で何気なしに特別の感慨もなく見過ごしていることのあれこれも、いざそれが失われると気づいた時、或いは実際に失われてみて、始めてその大切さとか価値に思い当たるだろう。昨日まで明るく見えていた光景が一転して無彩色に見えたら、人は何を思…

介護保険の認定

世に介護保険制度が導入されて久しいが、幸か不幸か80歳目前まで利用したことがなかった。制度そのものは知っていたし、乏しい年金から高額の介護保険料が差し引かれているのも知っていた。それでも馴染みがないまま日を重ねて今日に到った。自認か他認かは…

老人日記(12)

人間の気分というのは結構いい加減なものだ。梅雨の長雨が延々続くと嫌になり、天気予報が外れて予想外に晴れたりすると途端に何やら得した気分になる。普段は真面目腐った顔をして何の彼のと理屈を述べている御仁とて、所詮は大同小異であろう。人間色々な…

過ぎゆく日々

"光陰矢のごとし"と言われたのは随分昔だが、高齢者となって死期と対峙するようになってもやはり年月の流れは速い。大小を問わず様々なことに関心を払わねば、何が何やら分からぬままに時間だけが通り過ぎていく観が強い。それだけ時代や世間と関わりが薄れ…

人間の賞味期限

私たちは日頃口にする食品の賞味期限を気にする。別段その賞味期限が多少過ぎても、食べられないわけではないのに妙に拘りを持って確認する。それなのに人間としての自分の賞味期限を考えたことがあるだろうか。人間は食べ物ではないので不遜で語弊があるが…

拘りと自由

世界は現在自由な社会と、不自由な社会に二分されている。不自由社会の頂点に君臨しているのは言わずと知れた北朝鮮と中国の共産主義国家だ。幸い私たちが暮らすこの国は、他の先進国と同列の自由主義陣営に属している。自由が原則として保証されている。善…

黄昏のワルツ

タイトルは私がこよなく愛する音楽家の一人、加古隆のアルバムに収録されている彼のオリジナル曲の題名である。つば広の帽子を手放さない彼の後ろ姿のように、日本人ばかりでなく東アジア民族に広く共通する「そこはかとない哀愁」感が私は好きだ。加古隆は…

豊かさと便利さの代償

現代社会は「豊かで便利」であることが当たり前になった。その一方で必ずしもその恩恵に浴さない人々がかなりの数に上る。それでもこの時代に"貧乏"が話題に上ることは稀で、陳腐な政治の場での質問を除けば"親しみやすいテーマ"ではなくなった。この時代を…

単調な日々

毎日の暮らしを単調だと感じるか否かは人それぞれだろう。皆が同じように見えても違う暮らしをしているのだから当然だが、仮に同じ暮らしであったとしても感じ方や思いようは同じではないからそれぞれに異なる。職業や家族を含めて全く同一という暮らしはま…

流れ去る時代

最近は聞かれなくなった言葉の一つに「光陰矢のごとし」がある。時間の流れる早さを強調した言葉だが、現代社会は悉く人工的に操作されているのを不思議とは感じずに、むしろそれが"普通で当たり前"だと感じる人の方が多数派のようだ。すべてが不自由で不便…